忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[455] [454] [453] [452] [451] [450] [449] [448] [447] [446] [445]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

助かったからいい、許しません、助かりゃあ助かるほど自分を許しません。そこが信仰です。信仰は助かったからいい、それで自分を許してしまうのは信仰というのではございません。信仰というものは、断じて自分を命の限り許さない、これが、信仰の根本でございます。しっかと皆さんもお聞きになって、そうして自分が助かったからいい、それじゃございません。家庭がすっかり助かんなくっちやいけません!家庭が助かるのには、人を助ける道がなかったら家庭は助かりません。
ですから、お道というものは、真実に人を助ける心が信仰というのでございます。手を合わして拝むのが信仰じゃございません。人を助ける心になるのが信仰という精神であり、その道を正しく通さしてもらうのが、信仰というのでございます。よくその点はお心におおきになって、なんでもしなくちゃならんというんじゃございません。出来るお方は、それをさしてもらうことが何より肝心でございます。その点をお心におおきになって、そこに精神を離さないで通る心が信仰というのでございます。堅く申し上げておきまして、本日はこれでお治めさせてもらいます。(昭和38年10月12日 愛町分教会秋季大祭の祭典講話より)
PR


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア