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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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それを、早くに分かって早くに聞からせてもらったということは、このくらい徳なものはございません。それが、はっきり分かってきたんです。なぜ、そう申し上げるか?
これがはっきり分かってくると、さあ行く道をどうして行くもこうして行くもありません。神様がちゃーんと与えてくれて、ちゃんと通る道を付けてくれます。それをしっかり通っておったら、なにもいけないことはございません。
いけないことができたらどうしたんだって言うと、お道が心にございません。信仰は、形はしてます。形はしてますが、腹の中に信仰がございません。必ずいけないことになっちゃいます。これが、ちゃんと通れた試しがないんです。これは、私は数々人様をあつかってきてますから、それで知ってるんです。
それがまた、いいかげんに通っていいかげんに結構に成っていくんなら、私もこんな窮屈なことはしてません。もっといいかげんなことをやるかも知れません。ねぇ、そこで皆さんをそこに落としちゃったら、私は神様に申し訳がない。だから、ついこういうことまで説きたくなっちゃうんです。説いてて、一生懸命説いててそれを聞いてておやんなさって、そこにお落ちなさんのは、自分の自業自得です。これは、私が悪いんじゃない。ところが、そこまで説かないでそこまで精神入れないでそこに落としたら神様に申し訳がない。

つづく
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