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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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また、いいかげんなもんだったら、私も男です。こんな窮屈なことはやってません。こりゃあ、自分でやってんじゃない、神様がつかっていなさるんです。神がさしてなさるんです。
いや、そんなことがあるもんかと、こう思いますやねぇ。ところが、自分の身体は自分で拵えた人はないんです。私も自分で拵えたんじゃない、両親がそろって拵えてくれたんです。片っ方の人じゃ出来ません。二人そろわなきゃ、二つの理がそろってこなきゃあ、人間は出来てきません。
さぁ、それが人間わざじゃあないんです。そりゃなにかと言うと、このおやさまのはたらきです。そこで、よーっく考えてご覧なさい。自分の身体は自分で拵えたんじゃない。自分で育ったんじゃないんです。
で、親が拵えたって言いますけれども親でも知らないんです。なんだかできちゃった、おなかが大きくなってなんだかできちゃったってなっちゃってるんです。拵えようたってできやしないんです。さあ、それが人間の力じゃないんです。そこでもう一つ考えてごらんなさい。自分の身体は自分で育ったんでしょうか?
自分で拵えて自分で育ったんならですねぇ、なんでそんな拵え方したんだって、言いたくなるじゃありませんか?
しょうがない、どうしたとこでしょうがない。ほら、自分で拵えたんじゃない、神様がお拵えになって、神様がお育てになった。神様が今連れて通っていなさる。これは、天理教信仰してる者ばかりじゃない、社会の人間は、皆そういうふうになっちゃってるんです。

つづく
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