僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『親という理になって、どういう事もこういう事も親に計れば、一寸(ちょっと)に理を聞き分け。十分子が成人する。親々の理子にある。子に真実誠あれば理がある。古い者は親ともいう。親の理が治まらん。どういうものである。古い程難しい。………この“ぢば”本部や。古き“をや“なれば十分の理が無ければならん。………さあ/\“をや”/\の元々の理、“をや”/\の理を諭し、十分の理を諭してくれるよう。』(M24.1.8)
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