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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 更に又、陽気ぐらしの世界の建設を普請にたとえては、これに与る人達を、しんばしら、とうりやう、よふぼくなどと称んで、その持場々々の役割を示すなど、人々が容易に理解して、早く心の成人をするようにと心を尽された。
 このように、子供可愛い一条の親心から、譬喩を用いて分り易く教えると共に、いかにもして、親神の理を得心させたいとの思召から、初め、親神を神といい、次に月日と称え、更にをやと仰せられるなど、成人に応じ、言葉をかえて仕込まれた。
 即ち、神というては、この世を創めた神、元こしらえた神、真実の神などと、言葉をそえて親神の理を明かし、或は、

 たすけでもをかみきとふでいくてなし
 うかがいたてゝいくでなけれど         三 45

と仰せられ、神というも、これまでありきたりの拝み祈祷の神でなく、この世人間を造り、古も今も変ることなく、人間の身上や生活を守護している真実の神であると教えられた。
 次いで、親神を月日と称え、目のあたり天に仰ぐあの月日こそ、親神の天にての姿であると眼に示して教え、世界を隈なく照し、温みと潤いとを以て、夜となく昼となく、万物を育てる守護を説き聽かせて、一層の親しみと恵とを感じさせるよう導かれた。それと共に、

 いまゝでも月日のやしろしいかりと
 もろてあれどもいづみいたなり         六 59

 このあかいきものをなんとをもている
 なかに月日がこもりいるそや          六 63

とて、赤衣を召されたのも、教祖が月日のやしろにおわす真実を、眼に示して納得させようとの思召からである。ここに、月日親神に対する信仰と、月日のやしろたる教祖への敬慕の心とが、次第に一つとなり、教祖の言葉こそ親神の声である、との信念を堅めるようになされた。

つづく
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