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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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隔離があまり厳しいので、その女房は(医者に診せるのは、殺されるようなものだ)と思い、(どうせ駄目なら最後まで自分の手で………もしかして助かるかも知れない………)と気狂いのようになって看病した。が、夫は寝返りもせず、ものも言えず、死人も同様だった。
その病人も(もう俺はあかん)と思った。しかし水が飲みたかった。飲んでも吐いてしまうことは知っていても、灼けつくような喉の乾きを辛抱しきれない。女房が細いかね筆で唇をぬらしてくれるくらいでは足らなかった。大きなコップで一杯ガブガブのみ干したかった。心で、眼で、「水をくれ」と叫んでも、「俺がこんなに言ってるのに、なぜわからんのか」と叫んでも、舌はこわばり頬の肉はひきつり、言葉にならなかった。その無念、残念、苦悶の中で、ふと思い浮かんで来ることがあった。「まま食べるのも月日やで………」自分が食い、自分が喋るのだと断言していた。が、それはまちがいだ。自分の力よりほかに、もっと大きな絶対なる力が働きかけているらしい、そうに違いない。こう思うと、これほどの真理を説かれる尊いお方を、(狐使い………)などと罵〔ののし〕ったことが申し訳なくて、お詫びの心が激しく動いた。すると頭に胸にはりこめられていた‘もや’が晴れ、しょせん全部とはいえないが、ともかくお言葉の意味がはっきりと悟れた。その瞬間、喉に力が入
り、舌が動き、頬がゆるんで、「水」とひと声叫んだ。
夫は死んだものと思っていた女房は、あわてて水差しを病人の口に含ませた。もう夢中であった。ガブガブと火のような喉に注ぎこんだ。もちろんすぐ猛烈な吐瀉を起こしたが、幾分かの水が腹に治まったらしく、それがきっかけとなって、瀕死のコレラからあざやかすぎるほどに全快してしまった。
神様は因縁あってこのお屋敷にお引き寄せなさるのであるから、わけがわからず帰って行った者にも、こうしてはっきりした‘しるし’をお見せ下されたのである。”(「みちのとも」昭和9年3月号。真実の道 一五○ページ。)
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