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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 銘々の身上は、親神からのかりものであるから、親神の思召に隨うて、つかわせて頂くのが肝腎である。この理をわきまえず、我が身思案を先に立てて、勝手にこれをつかおうとするから、守護をうける理を曇らして、やがては、われと我が身に苦悩を招くようになる。これを、

人間というは、身の内神のかしもの・かりもの、心一つが我が理。
(明治二二・六・一)

と教えられている。

 人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。 (明治二二・二・一四)

 自由自在は、何処にあると思うな。めん/\の心、常々に誠あるのが、自由自在という。 (明治二一・一二・七)

 即ち、身の内の自由がかなうのも、難儀不自由をかこつのも、銘々の心遣い一つによつて定まる。それを、心一つが我の理と教えられる。

つづく
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