僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『人の言う事を腹を立てる処では、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、澄み切る教(おしえ)やで。今までの修理肥で作り上げた米が、百石貰(も)ろたら、百石だけある間は食(たべ)て要らるゝ。今度無い世界を始めたる親に凭れて居れば、生涯末代の“さづけ”やで。これは米に諭して一寸(ちょっと)話して置く。』(M20、3、22)
(注)〔食(たべ)ての「食」は、口へんに食でしたが漢字がありませんでした。〕 PR ![]() ![]() |
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