僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\、道の道なら、通さにゃならん。なれど長い道、これもしいかり聞いて置かねばならん。どんと心を定めて運ぶなれど、この道は、いつ/\の事であろうと思うて、退屈であろう。そこで、内の事、何よの事も、こうあゝと思うてする事は、どうせにゃならん、こうせにゃならんと言うて、“さしづ”は無い。さあ/\これも聞いて置かねばならん。立毛の育つも、この世始めも同じ事、無い人間を拵(こしら)えて、初めより、ものが言えたやない。一年経てば一つ分かる。又一つ分かれば、又一つ分かるように成って、もの言うように成りたも同じ事。順序事情の道伝うて、何事も一つ/\分かる。道を伝うて、何事も一つ/\分かる。道皆ちゃんと決まりてあるのや程に。内々身の内障り付く。これを聞いて置かねばならん。』(M20、8、23)
この道は、神のつけた道であり、天然自然の道であるから、何事においても一つ/\順序を経て通っていかなければ、物事は成ってこない。 また、身上や事情を通して心の切り替えを促し、一歩/\成人へと導いて下さっている。 なかなかすぐには進歩しなくとも、一歩/\着実に前に進んでいれば必ず目的地に到達する。 この道は、必ず『陽気ぐらし』の世界へと到達できるように成っているのだから、しっかりと心を定めて、親神様おやさまを信じ切って凭れ切って、一歩/\前進させていただくことが大事なことだと思います。 PR |
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