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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\/\/\いかなる処/\事情一つ、さあ/\事情道すがらを通して道に一つの事分からん。だん/\通り来たる処順々の道を知らそ。さあどういう道どんな道通りて定めた処、どういう処も尽す/\。よう聞き分け。どうなろうか/\と思う。その中に、誠一つ運ぶ。一つ兄弟々々の処なら、どういう道すがらもある。これも兄弟ならと尽す。これもどういうものなら、又、どういう事も内々の処へ中なる処も尽し、理を分からんでない。内々の処それ/\の処映し、善の処は随分弱いもの。善というものは弱いよで強いもの。弱いよなもの、年々続く天の理である。これさい分かれば速やか直ぐ、明らかのもの。我がものと思いながら、我がまゝならんのが天のもの。我がまゝならんのが、天のあたゑや。直ぐと分かる理がある。真実聞き分けば、分からんでない。さあ/\どんな道もこんな道も、ほうとした道も、通りた実を定めば、実々の楽しみ。実を定めた証拠、先々の楽しみ、これを真と思うなら、実々を分かる。世界を眺めて救ける処、十分のさづけ渡そ。あしきはらいたす
けたまへ天理王命、三遍唱えて三遍撫ぜ、返やして三遍、さゞん九遍撫ぜてやれ。』(M20.11.21)
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