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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『心という、毎々心に掛けて“あたゑ”という、理ある。“あたゑ”は急(せ)いて急かず。事情集まりてくれば“あたゑ”という。』(M30、6、26)

親が子を思う心は、寝ても覚めても絶え間のないものだと思います。おたすけ先に対しても、それと同じ心をかけてこそ、本当のおたすけでしょうね。
いくら心にかけても、わが身のこと、わが家のことは、なかなか思うようにならぬものです。それに対して、神一条のことは、不思議と思うようになるものです。だから、わが身、わが家なことは急がず、後回しにして、神一条のことを優先して急いでさせていただくと、うまくいきます。そのように続けているうちに、わが身わが家の方にも、だんだんとお与えが回ってくるようになります。
雨の降っているところに、一升マスと二升マスを並べて置けば、一升マスには一升、二升マスには二升、雨水がたまります。器の大小によって入る量が決まります。天の与えも、その人の器の大きさ、徳の大小によって決められていくものでしょう。
だから、徳の積み方についていろいろ勉強し、研究し、日々、徳が積めるように心を使い、体を使わせていただくことが大事になってきます。お金と同じように、徳も、ためるのには大変な努力が必要で、長い時間がかかるものですが、なくすのは一時の間です。うっかり落とさぬための研究もしなければなりませんね。(「おさしづに学ぶ」渡辺与次郎 道友社刊より)
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