僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
05.056
けふの日ハなにがみへるやないけれど 八月をみよみなみへるでな 05.057 みへるのもなにの事やらしれまいな 高い山からをふくハんのみち 05.058 このみちをつけよふとてにしこしらへ そばなるものハなにもしらすに 05.059 このとこへよびにくるのもでゝくるも 神のをもハくあるからの事 05.060 この事をなにもしらすにそばなるハ せかいなみなる事をふもをて 05.061 なにゝてもせかいなみとハをもうなよ なにかめつらしみちがあるぞや 訳)「きょうの日は何も見えてはいないが、八月をみよ、みな見え〈てく〉る。見えると言っても何のことか知れまいが、高い山から往還の道が付いて来る。この道を付けようとして、仕拵え(準備)をしているのを、{そば}の者は、何も知らない〈で心配している〉。この所へ呼びに来たり、出向いて来たりするのも、皆神の思惑がある〈故にさせていることである〉。それを何も知らずに、{そば}な者は世界並〈の取締りや干渉のよう〉に思っている。何が起きても、世界並に思う〈て心配する〉な。珍しい道が出来てくるのだから。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照) PR ![]() ![]() |
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア
|