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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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05.046
いまゝでハ神があらハれでたるとて まだしんぢつをしりたものなし

05.047
このさきハどのよな事もしんじつを をしへてをいた事であるなら

05.048
それからハ神のはらきなにもかも ぢうよじざいをしてみせるでな

05.049
しんぢつの神のはたらきしかけたら せかい一れつ心すみきる

05.050
はたらきもいかなる事とをもうかな 心うけとりしだいかやしを

05.051
このかやしなにの事やとをもうかな みちのりせんりへだてありても

05.052
この事ハなにをゆうてもをもふても うけとりしだいすぐにかやしを

05.053
このかやしなんの事やとをもうなよ せんあくともにみなかやすてな

05.054
よき事をゆうてもあしきをもふても そのまゝすくにかやす事なり

05.055
この事をみへきたならば一れつわ どんなものでもみなすみわたる

訳)「今までは神が現われ出〈て自由自在の働きをし〉ても、まだ真実(真実のこと)を知った者はいない。〈それ故〉この先はどんなことも真実を教えておいたなら、それから神の働きは、なにもかも自由自在をしてみせる。真実の神の働きをしかけたら、世界一れつは心がすみき〈って真実のことも分か〉る。〈神の〉働きはどういうものかと考えるであろうが、〈神は人間の〉心を受けとり次第に{かやし}(お返し)をするのである。この{かやし}は普通に考えられるようなものではなく、道のりが千里も隔たっていても〈{かやす}〉。このこと({かやし})は、何を言っても思っても、〈その心を〉受けとり次第直ぐに{かやし}する。この{かやし}はどんなものかと思うな。善悪ともに皆{かやす}のである。善い事を言っても〈思っても〉悪い事を〈言っても〉思っても、そのまま直ぐに{かやす}のである。このこと({かやし})が、〈人々の心に本当に〉見えて来たならば、一れつはどんな者でもみな〈心が〉澄み渡る。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友
社刊参照)
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