僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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05.030
ちかみちもよくもこふまんないよふに たゞ一すぢのほんみちにでよ 05.031 このみちについたるならばいつまでも これにいほんのこふきなるのや 05.032 にほんにもこふきがでけた事ならば なんでもからをまゝにするなり 05.033 このよふをはぢめてからのしんぢつを またいまゝでハゆうた事なし 05.034 このはなしむつかし事であるけれど ゆハずにいればたれもしらんで 05.035 たん/\とどのよな事もゆてきかす 心しづめてしかときくなり 訳)「近道も〈通らず〉、欲も高慢もないようにして、ただ一筋の本道にでよ。この道についたなら、いつ迄もこれが{にほん}の{こふき}である。{にほん}にも{こふき}が出来たことなら、必ず{から}を〈{にほん}の〉ままにする。この世初めてからの真実を、まだ今までは言ったことはない。この話は〈話するのが〉難しいけれど、言わずにいれば誰も知らない〈ので何とか知らさねばならない〉。〈それ故〉だんだんとどんなことでも〈{にほん}の者に教えて、それから〉言って聞かせる〈ようにする〉。この話を心静めてしっかり聞いておけ。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照) PR ![]() ![]() |
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