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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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05.017
けふまでハなによの事もせかねとも もふせきこむでをふくハんのみち

05.018
このみちハせかいなみとハをもうなよ これまつだいのこふきはぢまり

05.019
このにんぢうとこにあるとハゆハんでな みのうちさハりみなくるであろ

05.020
このさハりてびきいけんもりいふくも みなめへ/\にしやんしてみよ

05.021
このはなしなんとをもふてきいている かハいあまりてくどく事なり

05.022
どのよふにいけんりいふくゆうたとて これたすけんとさらにゆハんで

05.023
にんけんのハがこのいけんをもてみよ はらのたつのもかハいゆへから

05.024
しやんして心さためてついてこい すゑハたのもしみちがあるぞや

05.025
いまゝでハ心ちがいわありたとて ひがきたらんてみゆるしていた

05.026
このたびハなんでもかでもむねのうち そふちをするでみなしよちせよ

05.027
むねのうちそふぢをするとゆうのもな 神のをもハくふかくあるから

05.028
このそふぢすきやかしたてせん事に むねのしんぢつわかりないから

05.029
この心しんからわかりついたなら このよはぢまりてをつけるなり

訳)「きょうまでは、何事にも〈余り〉急かすことはなかったが、もう〈きょうは〉往還の道を急込む。この〈往還の〉道は、世界並のことと思ってはならない。これは末代(永遠)にわたる{こふき}の初まりである。この(今話題の)人衆は、どこに居るとは言わないが、身の内の障り(病気)〈を手引きとして〉みな寄って来るであろう。この障りについては、〈神の〉{てびき}・{いけん}・{りっぷく}〈であるけれど〉も、みなめいめい(各自)〈心違いを〉思案してみよ。この話を何と思って聞いているか。〈神は人間が〉可愛い余りに口説いているのだ。どんなに{いけん}や{りっぷく}と言っても、これをたすけないと言っているのでは決してない。人間のわが子を意見することを考えてみよ。腹の立つのも可愛い故からであろう。よく思案して、心を定めて随(つ)いて来い。末には頼しい道があるぞ。今までは心違いがあっても、〈まだその〉日(旬)が来ていないので見許して〈そのままにして〉いた。このたびは何でも彼でも胸の内(心)を掃除するから〈この点を
よく〉みな承知していよ。胸の内を掃除をするというのも、神の思惑が深くある(色々教えたい)からなのだ。〈すなわち、いくら教えても、この胸の〉掃除をすっきりと仕上げてしまわないと、{むね}が真実に{わかった}ということにならないからである。〈掃除して〉この〈ように〉心が芯から{わかった}ということになれば、この世初まり〈と同じ守護を現わす{つとめ}の手を付ける。〉」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
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