僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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05.009
せかいぢうどこのものとハゆハんでな 心のほこりみにさハりつく 05.010 みのうちのなやむ事をばしやんして 神にもたれる心しやんせ 05.011 どのよふなむつかし事とゆうたとて 神のぢうよふはやくみせたい 05.012 いまゝでハ神のぢうよふしんぢつを しりたるものさらにないので 05.013 これからハいかなむつかしやまいでも 心したいになをらんでなし 05.014 しんぢつの心を神がうけとれば いかなぢうよふしてみせるてな 05.015 こらほどの神のしんぢつこのはなし そばなるものハはやくさとれよ 05.016 これさいかはやくさとりがついたなら なにゝついてもみなこのどふり 訳)「世界中({うち}も{せかい}も)どこの者と〈いう区別は〉言わない。〈誰でも〉心の{ほこり}が身に障りとなる。〈それ故〉身の内(体)の悩むところ(病気)を思案して〈{ほこり}の心違いを{さんげ}し〉神に{もたれる}心〈になるよう〉思案せよ。〈そうしたら自由自在のたすけをするので〉どんなに〈病が〉難しい(重い)と言っても、神の自由自在のたすけを早く見せてやりたい。今までは、神の自由自在という真実を知っている者は全く居ないので〈誰も本当に思案をしていなかった〉。これからはどんなに難しい病でも、心次第で直らぬということはない。真実の心を神が受けとれば、どんな自由〈自在のたすけ〉もしてみせる。これほどの神の真実の心からするこの話を、{そば}の者は早く悟れ。これさえ悟りが付けば〈神は自由自在のたすけをして見せるので〉、何についてもこれと同じ道理である。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照) PR ![]() ![]() |
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