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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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05.001
いまゝでハぎうばとゆうハまゝあれど あとさきしれた事ハあるまい

05.002
このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ

05.003
このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん

05.004
めへ/\にハがみしやんハいらんもの 神がそれ/\みわけするぞや

05.005
一やしきをなじくらしているうちに 神もほとけもあるとをもへよ

05.006
これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで

05.007
このはなしみな一れつハしやんせよ をなじ心わさらにあるまい

05.008
をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで

訳)「今までは牛馬〈に堕ちる〉ということは、時々聞いていても、あと先(過去と将来)が〈はっきり具体的に〉知られることはあるまい。このたびは先なること(来世)をこの世(今生)からしらせるから、身の障り(病気)によってこれを見て〈よく思案せよ〉。この世はどんなにわが身のことを思っても、〈その通り方が〉神の立腹〈となるようなもの〉では、これは思い通りにはならない。めいめい(個人々々)にわが身思案は要らない。神がそれぞれ〈その者を〉見分ける。一屋敷〈の中に〉同じようにくらしていて、〈“神も仏もない”と思ってわが身勝手な通り方をしても〉“神も仏もある”のだということを考えよ。〈神は立腹の{かやし}をするので〉これ({かやし})をみて、どんな者でも得心せよ。〈神は〉善と悪とを分かるように〈必ず〉する。この話を一れつは思案せよ。〈一人として〉同じ心ではあるまい。親子でも夫婦でも、兄弟姉妹の仲でも、みな一人ひとり心は違う。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
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