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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第八章『道すがら』 つづき

  ふうふそろうてひのきしん
  これがだいゝちものだねや          一一下り目 2

 親神は、「ふうふそろうてひのきしん」と教えられる。夫を化し、妻を導いて、夫婦共々に心を揃え、日々ひのきしんに勇むところ、一入そのむつまじさが溢れ出て、一家に春の明るさと和ぎが漂う。これを、「だいゝちものだねや」と仰せられる。
 一家の陽気は隣人に及び、多くの人々は、われもわれもと相競うて、ひのきしんにはげみ、世界には、一手一つの陽気が漲つてくる。かくて、親神の望まれる陽気ぐらしの世が現れる。

  いつ/\までもつちもちや
  まだあるならバわしもゆこ          一一下り目 5

 たんのうの心が治り、ひのきしんに身が勇んで、欲を忘れる時、ここに、親神の思召にかなう誠真実があらわれる。その日々の姿には、何の裏表もなく、清らかさと明るさが溢れてくる。そして、親神の思召をそのままに読みとり、さながらに身に行えるようになる。
 かかる誠真実に徹するのが、心の成人を遂げた所以であつて、親神は、それを待ちわびておられる。

  いまゝでハせかいぢううハ一れつに
  めゑ/\しやんをしてわいれども       一二 89
  なさけないとのよにしやんしたとても
  人をたすける心ないので           一二 90
  これからハ月日たのみや一れつわ
  心しいかりいれかゑてくれ          一二 91
  この心どふゆう事であるならば
  せかいたすける一ちよばかりを        一二 92

つづく
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