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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『ありがとう(ございます)』とは、有り難いこと(普通では有り得ないこと=奇跡)に対して感謝し喜び、そして御礼を申し上げている言葉なのです。

お道のみ教えに『かしもの・かりものの理』というものがありますが、人間の身体は神様からの借り物であり、当たり前のように思っている、「目が見える、耳が聞こえる、匂いがかげる、言葉を話せる、手も足も自由に動かせる、また、呼吸ができる、食事ができる、食べたものを吸収して栄養としていただける、排泄もできる、などなどのことは、すべて神様の御守護をいただいているからこそ自由にでき、自然にしていただいている」という計り知れない神様の御守護(奇跡)を毎日四六時中いただいているということなのです。

しかし、人間はあざないものゆえに、これらのことを当たり前のことと思っているのです。
それゆえに、人間はいくら感謝してもしきれないくらいの恩恵を神様からいただいているのに、ほとんど感謝もせず御礼一つ言えないで暮らしているのです。

そこで、《ありがとう(ございます)》という『感謝と喜び』の言葉を絶えず口にして御礼を申し上げて日々を通らせていただくということは、日々を“たんのう(堪能=十分満足させていただく)”の心で通らせていただくとことになるのだと思います。
また、神様は「“たんのう”は前生因縁の“さんげ”として受け取る」とも仰せになられています。
決して不足(泣き言、不平不満、愚痴など)を言わずに、《ありがとう(ございます)》という言葉をかかさずに毎日口癖のように実践させていただいていると、その回数に応じて不思議不思議の奇跡的な御守護がいただけるようになるようです。
ただし、不足を一回でも口にするとなかなか御守護はいただけないようなので、しっかりと“心定め”をさせていただく必要があります。

ひろ
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