僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『………どうで生まれ更わりの理があるによって、もう“たんのう”はっちゃ受け取る処無い。事情日々の処運ぶなら、何案じる処無い。』(M31、2、4)
生まれ更わりの理があるから、どんな中も“たんのう”しか受け取るところはない。日々“たんのう”して通るならば、何も案じるところはない。(「事情さとし」深谷忠政著 養徳社刊より) “たんのう”とは、いかなることであっても「成ってくる理」を素直に受け入れて『十分満足する!!』ということであります。 これには、生まれかわりの理を悟り、しっかりと『因縁の自覚』をさせていただくことが必要だと思います。 PR ![]() ![]() |
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