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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\身上一条尋ねるから諭すのには、身上一条の理を聞き分けるなら、何かの事も分かるであろう。人にも諭しても居るやろう。聞いても居るやろ。さあ/\分からんやあろうまい。神の子供。難儀さそう不自由さそうという親はあろうまい。身の内は神のかしもの・かりものの理を諭するには、心は我がもの。心通り神が働く。この理をよく聞き分け。前生いんねん分かろうまい。分からんから尋ねる/\。事情世上には皆々どんなものも映してある。この理を聞き分け。人間は生まれ更わり出更わり理聞き分けよ。さあ/\身上は余程大層である。さあ/\どうせにゃいかんこうせにゃいかんとは神は言わん。内々家内もこの理を聞き分けよ。身上無うては楽しみあろうまい。見んならんも前生いんねん。踏ん張らにゃなろうまい。救からにゃなろうまい。人を救けるという心、救けにゃならんが天の理、救かるも天の理。これだけ尽すのに何でと思う心出さずして、内々に誠の心が睦まじいという。この理を諭し置く。身上今一時どうとも無い。身上案じると案じの理が回る。さあさあ
内々睦まじいが第一という。』(M24.7.7)
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