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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上一条いかなる事情であろうと、一つ尋ねにゃならんから尋ねる。尋ねるからは、又一つ順序の理を諭し置く。よく聞き分けにゃ分かり難ないで。身上不足なれば、いかな心も沸くであろ。これ心に掛かるやろう。これだけこうして居る、どうして居る。遙かにと思う。いかな事も聞き分けにゃならん。難儀さそう不自由さそうという親、有るか無いか聞き分け。こゝ一つ思やんとして、心に矯め直すがよい。これまで尽した理運んだ理は、皆受け取ってある。そんならどうと又思う。救けにゃならん、救からにゃならんが一つ理。この一つの中に身上長らえと言えば、いかな心も沸くであろう。どういう心も沸くであろ。なれど、よう聞き分け。人間は一代、一代と思えば何でもない。なれど、尽した理働いた理は、生涯末代の理である。この道と世界先々理と、理を聞き分け。道に一つ一つ諭すかりもの聞き分け。かりものという処から、一つ心定めてみよ。そんなら身上どうと言う。一時ではない。なれど大層、成っても成らいでもという、一つ心に治め。
日々通る尽す一時の心は、皆受け取ってある程に。どんな理も皆受け取ってある程に。』(M37.03.03 おさし
テ〔神様のお言葉〕)



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