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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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生まれたいっきの赤ちゃんは、お母さんやお父さん(親)がいなければ、決して一人では生きてはいけないだろうし、育つことはないだろうと思います。お乳を飲まし、おむつをかえ夜中にでも泣き出すとヨシヨシと言って抱き上げる。また、幼い子供は親の言動ややることなすことを見て育ってゆくもの、親が正しい心をつかい、その言動を手本としてちゃんとしたしつけをすることが重要となるのだと思います。

また、子供は“親”を選べないが、ちゃんとした前生の因縁の元に子供を授けていただくということで、本来はその神様からお与えいただいた子供をしっかりと成人へと導かせていただくのが“親”としてのつとめであるのだと思います。

またこれは、「お道の信仰の上」においても同様で、子供は、“親”が気に入らないからと言って、直接“をや”が預かって下さって育てて成人させて下さるということはありえないことなのだと思います。
そのために、正しい道を教え成人へと導く“をや”の代わりをさせていただく「お道の信仰の上」においての“親(理の親)”が必須となってくるのであります。
それで、神様が“をや”の代わりとして、魂の因縁の深い“理の親”という信仰の導き手(教え親)をお与え下さるのであります。

そして、自分が救けられて、今度は人様を導かせていただく“理の親”にならせていただいたとしても、決して偉そうにしたり高い心になってはならず、しっかりと“をや”の代わりをさせていただけるよう、自らの心を低くし、身を捨てて真剣に“理の子(子供)”を成人へと導かせていただかなくてはならないと思わせていただいています。

ひろ
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