僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『……多くの中に澄んで/\早く汲みに来んかいなと、水を澄まして待って居る。これは千日の間に出来たのや。それぞれ話、濁った水の所では、一夜の宿も取れようまい。澄まして居るからそれ出来る。わしが“におい”を掛けた、これは俺が弘めたのや、と言う。これも一つの理なれど、待っているから一つの理も伝わる。………』(M25.06.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)
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