僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『……………陰から尽す理は十分受け取る。人の事の理はどれくらい思えども受け取れん。めん/\尽すだけはめん/\。内々いろ/\心ある。事情いろ/\ある。一寸理では大きい事情治まりてある。多く事情に世情の理、めん/\一人幾重の事情に、長くは先の楽しみ、短いは楽しみ無し。これ俄(にわ)かに咲く花は、切って来て床へ挿してあるも同じ事。これは“のじ”の無いものである。さあ/\これ根のある花は遅なる。なれども年々咲く。又枝に枝が栄える。根も踏ん張る。こゝの道理をよう思案してみよ。さあ/\身上はすっきり案じることはないで。』(M24.11.01 おさしづ〔神様のお言葉〕)
※俄かに=急に、突然に、“のじ”のない=ちゃんとした下地がない、長持ちしない PR |
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