僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第四号つづき
04.128 いまゝでハにほんかからにしたごふて まゝにしられた神のざんねん 04.129 このかやし神のはたらきこれをみよ いかなものでもまねわでけまい 04.130 いかほどのごふてきたるとゆうたとて 神がしりぞくこれかないまい 04.131 なにゝてもみな一れつハこのどふり 神がぢうよふするとをもゑよ 04.132 しやんせよハかいとしよりよハきでも 心しだいにいかなぢうよふ 04.133 いまゝでもをなぢくらしていたるとも 神のぢうよふしりたものなし 04.134 これからハよろづの事をみなとくで 心ちがいのないよふにせよ 第四号おわり 訳)「今までは、“にほん”が“から”に従ってままにしられた〈ことは〉神の“ざんねん”である。この“かやし”として〈神が働くので、この〉神の働きを見よ。どんな者も真似ができるか。〈“から”の者が〉どんなに剛的な者(剛の者)といっても、神が“しりぞく”(守護の手をひく)から、これにはかなわぬだろう。なんでもみなこのようにして神が自由〈自在の働きを〉すると思え。思案してみよ、〈“にほん”の者が〉どんなに若いとか年寄りとか弱い者であっても、心次第で、〈神は〉どんな自由〈自在の働きもさせる〉。今までも〈教祖と〉同じようにくらしていても、神の自由〈自在の働き〉を知っている者は居なかった。これからは〈この自由自在の働きの話だけでなく〉万事につけてみな説いておくから、心違いのないようにせよ。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照) PR ![]() ![]() |
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