忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[125] [124] [123] [122] [121] [120] [119] [118] [117] [116] [115]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

第四号つづき

04.128
いまゝでハにほんかからにしたごふて まゝにしられた神のざんねん

04.129
このかやし神のはたらきこれをみよ いかなものでもまねわでけまい

04.130
いかほどのごふてきたるとゆうたとて 神がしりぞくこれかないまい

04.131
なにゝてもみな一れつハこのどふり 神がぢうよふするとをもゑよ

04.132
しやんせよハかいとしよりよハきでも 心しだいにいかなぢうよふ

04.133
いまゝでもをなぢくらしていたるとも 神のぢうよふしりたものなし

04.134
これからハよろづの事をみなとくで 心ちがいのないよふにせよ

第四号おわり

訳)「今までは、“にほん”が“から”に従ってままにしられた〈ことは〉神の“ざんねん”である。この“かやし”として〈神が働くので、この〉神の働きを見よ。どんな者も真似ができるか。〈“から”の者が〉どんなに剛的な者(剛の者)といっても、神が“しりぞく”(守護の手をひく)から、これにはかなわぬだろう。なんでもみなこのようにして神が自由〈自在の働きを〉すると思え。思案してみよ、〈“にほん”の者が〉どんなに若いとか年寄りとか弱い者であっても、心次第で、〈神は〉どんな自由〈自在の働きもさせる〉。今までも〈教祖と〉同じようにくらしていても、神の自由〈自在の働き〉を知っている者は居なかった。これからは〈この自由自在の働きの話だけでなく〉万事につけてみな説いておくから、心違いのないようにせよ。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア