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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『“さしづ”はいつとても変わらん。一度の諭に生涯の理まで諭してある。理のある限り神の“さしづ”の理は変わらん。………何が間違う、こうが間違うと思う心が間違う。………皆分からんで、日々苦労して居る。それはどうしたさかいにどう、こうしたさかいにどう、という理は無い。医者の手余り捨てもの救けるが、神の“たすけ”という。』(M29、5、1)

医者にかけたからどうとか、かけなかったからどうとか、人間思案は必要がない。あれこれ案じ心がわくゆえ、皆、心で苦労しているが、医者が見放したものを救けるのが“神のたすけ”なのであるから、“さしづ”通りしっかり心を定めて神様に凭れ切って、誠真実を尽くしておたすけさせていただくという心が大事なことである。
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