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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第四号つづき

04.120
いまゝでハ高い山やとゆうている たにそこにてハしけんばかりを

04.121
これからわ高山にてもたにそこも もとはじまりをゆうてきかする

04.122
このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや

04.123
このどぢよなにの事やとをもている これにんけんのたねであるそや

04.124
このものを神がひきあけくてしもて だん/\しゆごふにんけんとなし

04.125
それよりも神のしゆことゆうものわ なみたいていな事でないぞや

04.126
このはなし一寸の事やとをもうなよ せかい一れつたすけたいから

04.127
にち/\に神の心のしんぢつわ ふかいをもわくあるとをもへよ

訳)「今までは{高い山や}(俺は高山に住む指導者だぞ)と言って〈人々をままに(自由に)して〉いる。谷底(の者)は〈この真実に無知な高山に従って〉しょげているだけである。これからは高山にも谷底にも、〈真実の神の話として〉元初まり〈の話〉を〈“にほん”の者から〉言って聞かせ〈ていさむようにす〉る。この世の初まり出しは泥の海〈であった〉。そのなかに“どぢよ”ばかり〈沢山〉いた。この“どぢよ”は何であるかと言うと、これが人間の“たね”になった。このものを神が引き上げ食ってしまって、だんだん守護して人間としたのである。それからの守護というものは、並大抵なことでなかった。この話は、〈昔話かなんぞを聞くような〉ちょっとしたことと思ってはならぬ。〈この話は〉世界一れつをたすけたいから〈聞かす話である〉。日々に神の心の真実〈を説いて聞かすこと〉には、深い思惑があると思え。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
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