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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第四号つづき

04.079
せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ

04.080
せかいぢうせきゝよとしてはちめかけ といてきかするきゝにいくなり

04.081
いかほどにみゑたる事をゆうたとて もとをしらねばハかるめハなし

04.082
だん/\とない事ばかりゆてをいて それでたならばこれがまことや

04.083
一れつに神にもたれるこのこども はやくをもていでるもよふせよ

04.084
しんぢつにをもてゞよふとをもうなら 心しづめてしんをたづねよ

04.085
このこどもしんぢつよりもむねのうち みさだめつけばいかなもよふも

04.086
にち/\に神の心わせきこめど こともの心わかりないので

04.087
こともでも一寸の人でハないからに をふくのむねがさらにハからん

04.088
いまゝでハがくもんなぞとゆうたとて みゑてない事さらにしろまい

04.089
このさきハみへてない事だん/\と よろづの事をみなといてをく

訳)「世界中〈の人間〉は、神にとっては皆わが子である。すべての者はみな〈神を〉親と思え。世界中〈どこでも、話をしらせるのに、まず〉説教〈の形式〉として始め掛ける。説いて聞かせる、聞きに行く〈というのが世間のやり方である〉。〈しかし〉どれほど見えたようなことを言っても、〈言う方が人間やこの世の〉元を知っていないのであるから、〈聞く方で〉わかる筈がない。だんだんとないこと(今は目に見えないこと)ばかり言っておいて、それがその通りになるならば、これが本当である〈。その通りになるのは元を知っているからである〉。一れつに、神にもたれるこの〈布教伝道しようとする〉“こども”よ、早く表へ出るもよう(準備)をせよ。本当に表へ出ようと思うなら、心しずめて“しん”(元)を尋ねよ。この“こども”の胸の内が〈神の方で〉本当に見定めがついたなら、〈説教に限らず〉どんなもよう(手段)も〈講じて話が伝わるようにしよう〉。日々神の心は急込んでいるが、“こども”(人間)の方はさっぱりわからない。“こども”でも少しではな
い、沢山いても全然わかっていない。今までは学問なぞと言っても、見えていないことは全く知らないであろう。〈しかし神は〉この先(将来)は見えてないことを万事〈必要なだけは〉みな説いておく。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
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