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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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今日で、このブログが満一歳になりました!!

今日は、教祖(おやさま)のお言葉から、八つのほこりの取り方、はらい方を思案させていただきたいと思います。

「『八ツのほこりを取るのは、たやすいものやで。この障子の建て付けが、柱もまっ直ぐなら、障子もまっ直ぐで、ぴたりとそうやろ。けれども、敷居のみぞに一粒の豆でもあったら、建て付けがそうまい。そんなものやで。この豆さえ取ったら、よう合うのや。八ツのほこり取るのは、この豆取るようなものやで。六ケ敷い(難しい:ひろ)ことはないで。』(正文遺韻抄 二五四ページ)」(『しあわせを呼ぶ心』尾崎栄治著 善本社刊より)

…という教祖のお諭しがありますが、ここでいいます「豆」というのは、「我が身可愛い」(自分さえよかったらいい)という“欲や執着の心”であると思います。

また、以前の記事でも書かせていただきました〈『つかんでいるその手を放す①』〉〈『つかんでいるその手を放す』②〉にあるように『つかんだその手を放す』ということも、同じように“八つのほこり”を取る一つの方法だと思います。
つまり、「自分のものだと思って、一生懸命つかんでいるその手を放す」ことにより、“欲”や“執着”から解き放たれて、“ほこり”をはらうということに繋がるのだと思わせていただいています。
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