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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第四号つづき

04.048
なにゝても神のゆう事しかときけ みなめゑめの心しだいや

04.049
しんぢつに心いさんでしやんして 神にもたれてよふきづとめを

04.050
このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや

04.051
こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく

04.052
しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ

04.053
しかときけよろつの事をみなをしへ どこにへだてわさらにないぞや

04.054
どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから"

訳)「なんでも神の言うことをよく聞け。みなめいめい(当事者)の心次第である。真実に心〈をすまして〉いさんで、思案して(心を定めて)、神にもたれて“よふきづとめ”〈の準備〉をせよ。この話は何のことかと思うな、肥一条(肥の“つとめ”)の話である。肥(肥の“つとめ”による守護)といっても、何が効くと思うな。心の“まこと”・“しんぢつ”が効くのである。真実の心を〈神が〉見定めが付いたなら、どんな守護もすると思え。しっかりと書いておけ。〈“つとめ”に限らず〉よろづの事を皆教える。それには隔ては少しもない。どんな所の人が〈この屋敷に〉出て来ても、皆“いんねん”の者であるから〈皆同じように教える〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
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