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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる処/\、尋ねる事情/\、尋ねる事情には、余儀無く事情で尋ねる。尋ねるからは、さしづしよ。さしづの理というは、心までのさしづ。心までのさしづはどういう事であろう。どうでもならん、どうでもいかん。いかんはいんねんで、分からんと言うては、救けようが無い。救けようが無いというは、万事さしづ理聞き、万事心得のため、さしづして置こう。身に不足癒らんような事あろまい。癒らんと言えまい。事情は救かるが理。寿命という二つの理が分からん。これさい分かれば、身の不足ぐらい癒らんでない。銘々理で抑えて居るようなもの。気の去らんは何でもない。堪いられんは救けにゃなろまい。しく/\ありて心は散乱とも計り難ない。いんねんの理を治めば、何でもない事である。』(M24.08.07)
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