僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
第四号つづき
04.013 にち/\にみにさハりつくまたきたか 神のまちかねこれをしらすに 04.014 だん/\とつとめのにんぢうてがそろい これをあいつになにもでかける 04.015 にち/\の神の心わだん/\と 上の心にはやくみせたら 04.016 上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい 04.017 にち/\に神の心のせきこみハ とふぢんころりこれをまつなり 04.018 いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ 04.019 これさいかみなみへきたる事ならば せかいの心みないさみくる 04.020 なにゝてもせかいの心いさむなら 神の心もみないさむなり 訳)「日々に身に障りが付いて(病気になって){また来たか、神の待ちかねているのを知らないで}〈というようになる〉。だんだんと(順序を追って)“つとめ”の人衆の〈役割通りに〉“手”が揃い〈“つとめ”をする〉。これが合図となって何か〈不思議なたすけ〉が出掛ける(現われる)。これ(不思議なたすけ)さえ皆見えて来たならば〈布教伝道がうまく行って〉、“せかい”(世の中の人々)の心もみないさんで来る。なんでも“せかい”の心がいさむなら、神の心もいさむのである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照) PR ![]() ![]() |
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア
|