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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる一条身の処めん/\一つ身上に不足なる。どういう事であろうと、後々も思え先も思えど、身の処速やかならん。どれだけ分かりてある。思やん諭す理、身上から尋ねる。尋ねば一つ事情諭しよう。諭す理から思やんすれば、一つ理であろうか。身も治まる。多くの中それ/\の中めん/\一つ/\道を運び、人々のため運ぶ処、日々受け取る。なれど、成る成らん。多く一つの理尽す運ぶ事情、一時の処自由は日々内々にも掛かる。一時は一つ思わく通り来たる。万事心のため早くと言えば早く。辺所たる。真実はこれからの道。十分自由というは、古き事情に諭してある。内々十分尋ねた理はこうであったと言うて諭し、辺所たる、これはという。先々いんねん一つの道無ければ、道があろまい。互い/\諭し合い、十分一つの理。辺所たる、めん/\一つの理であろうまい。ならん道は通れようまい。これ心に治めば、身は直ぐと治まる。』(M24.05.31)
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