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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『………しっかり取次、道付け始まる。どういう大道大道、大道の掛かり。どういう、何人々々、幾名、一人思案定め/\。泥水だん/\迫り、泥水が澄まする。………大きな“ふし”見える。大きな“ふし”なら、大きな心据える。大きな“ふし”、大きな“ふし”が出る。………。談示々々水の席火が出る、火の席に水が出る。そこで水の席に水、火の席に火を以て、いかなる処、談じ置かねばならん。』(M20.6.24)
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『………どうでもこうでも登れん。その場/\治めにて、又一つ道。さあ/\分からん処には、何ぼ誠説いても誠とせん。何ぼ貫ぬこうと思うても、関があっては登れん。登られんから帰る。帰るのも道ぢゃ。関があるから、邪魔になる。関は神が取るのやで。関さえ取れば、登れるであろう。又関貫ぬこうと思うゃ、余程の長く掛かる。』(M20.6.28)
『さあさあ悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。悪風に向こうたら、つまずくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。」(稿本天理教教祖伝逸話篇『一八三 悪風というものは』より)
『勝手の道通りて“いんねん”という。………これからは談示一つ、“さしづ”の道より立たせんで。俺が/\がというは、薄紙貼ってあるようなもの。先は見えて見えん。………勝手一つの理は邪魔になる。』(M24、5、10)
『悪風の理に混ぜられんよう。悪説に誘われんよう。悪理に繋がれんよう。三つの理いついつ混らんよう。両手運んでも、両足運んでも、一つの理が治められん。道の理皆考え、………遠く所より胸三寸磨くよりは外にあろうまい。』(M30.1.12)
『腹立てさゝぬよう。さあ/\無理どんな事言うても、どんな無理言うても、何もならせんで。さあ/\言えば言う程言う者は言う通りに成る。』(M21.7.7)
『たゞ一つの理、理は一つより無い/\。跨(またが)りの理を拵えるからならん/\。事情これだけと思て、成る理聞き分け。一つの理難しい。………中に同じ事、新しも同じ事、真の理心に治まれば、真の事も無きもの。』(M31.3.27)
『世上から見ては、あれでこそ成程の人や、成程の者やなあという心を持って、神一条の道を運ぶなら、何彼の処鮮やかと守護しよう。』(M23.5.6)
『誠は尽きん、尽きんが天の理。………どんなもの作るにも旬々という。誠さえ十分固めてあれば、何も案じる事は一つも無い。誠薄ければ種が失う。』(M23.11.21)
『修行の理は分かりて居る。身上の事情あっては出来難ない。速やかになる。暫くの処これどうであろう。深き何でも十分の学をし、十分の学を治めよう。智者学者あっても何にも治まらせんで。一つの理を始め掛け、日々暮らさせたい。思う道もう暫く。日々の理、事情より治まる理が無きという理を治めくれるよう。』(M23.2.3)


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