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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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また一面、親神様から預けられた子供に対して、親神様に代わって、親としてのご用をつとめているのが、肉親のおやの立場であるとも言えるでしょう。
これは肉親の間柄だけではありません。人と人との結びつきはみな、見抜き見通しの親神様が、深い親心の上から組み合わせ下さっているのです。真実たすかるこのみ教えに引き寄せられるについても、それぞれの“いんねん”見定めて、それぞれに一番よいと思召された人と人を結びつけ、信仰を進めていく上の、世話をする人とされる人をつくって下さる。それが「理の親子」です。誰かに“にをい”がかかるのも、“おたすけ”をさせてもらうのも、みな親神様の先回りのご守護かあればこそであります。「理の親」になるということは、真実元の親である親神様、教祖になり代わって、親心を伝え、親心をかけていく使命をお与え頂いたということです。まず自分自身が子供として、教祖を慕い、“ひながた”の道を真剣にたどるとともに、真実の親、親神様、教祖になり代わって人を育てさせてもらうのだという心がなによりも大切です。
親神様は、
『皆、“をや”の代りをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。』(明治21年7月7日 おさしづ)
『元というは“をや”という。“をや”という理は可愛い理に育てば、どんな所も育つ。親と成りて育つるは可愛いという理を以て育てるよう。』(明治22年11月29日 おさしづ)
『どんな事も、成らん処育てるが親の役、………』(明治31年11月13日 おさしづ)
ともお諭し下さっています。(《お道のことば》深谷善和著 道友社刊より)
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(前項で)、先に導かれ、先に目覚めた者が、ひたすら教祖の“ひながた”を求め、たどっていくところに、自然とその人に導かれ、たすけられた人々が慕い寄ってくるという「順序の道」について述べましたが、このようにして出来てきた、先に歩む人と後から導かれる人、教えを伝える人と伝えられる人、布教者と信者、という関係を、お道では「理の親子」と申します。信仰の道を歩む上での親子ということで、導く人のことを「理の親」、導かれる人を「理の子供」と言っています。
しかし、これは決して、古くからの家族制度をそのまま当てさはめたものではありません。むしろ、家族についても、従来の封建的な親子の考え方を根本から改めて、本当の親と子のあり方をお教え下さったのが、このお道であると申せましょう。
私たち人間は、みな親神様の子供であり、親神様こそ私たちの真実の親なのであります。親神様は常に可愛いいっぱいの親心をもって、私たちを抱きかかえ、お育て下され、お導き下される中に、一人々々の心を見澄まして、生まれかわり出かわりしながら長年にわたって歩んできた心の姿、“いんねん”を見定めて、一番よいと思召された人と人とを組み合わせて、親として子としてこの世に生まれさせ、生活させて下さっているのです。末代かけての時の流れの中で、親が子となり子が親となって、ご恩報じ、通り返し、“いんねん”切り替えの道を通るのだと言えるでしょう。

つづく
『さあ/\だん/\の席返す/\の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以って一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。生涯の理を諭すには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、これは言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。ただめん/\精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治ま
るという。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶという、尽すという。運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め。又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛型。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。』
ブログを読んで下さっている皆様、新年あけましておめでとうございま~す!!
(*⌒▽⌒*)

本年も頑張って毎日ブログを更新させていただきますので、どうぞよろしくお願い致しま~す!!
m(__)m

ひろ



十下り目

一ツ ひとのこゝろと
   いふもの八
   ちょとにわからん
   ものなるぞ

二ツ ふしぎなたすけを
   していれど
   あらはれでるのが
   いまはじめ

三ツ みづのなかなる
   このどろう
   はやくいだして
   もらひたい

四ツ よくにきりない
   どろみづや
   こゝろすみきれ
   ごくらくや

五ツ いつ/\までも
   このこと八
   はなしのたねに
   なるほどに

六ツ むごいことばを
   だしたるも
   はやくたすけを
   いそぐから

七ツ なんぎするのも
   こゝろから
   わがみうらみで
   あるほどに

八ツ やまひはつらい
   ものなれど
   もとをしりたる
   もの八ない

九ツ このたびまでハ
   いちれつに
   やまひのもと八
   しれなんだ

十ド このたびあらはれた
   やまひのもと八
   こゝろから

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと
〔おしい(惜しい)〕
身の働きを惜しみ、少しでも楽をしようという心。
人のために尽くすことを惜しみ、自分さえよければという心。当然だすべきものを出さず、人に貸すのを惜しむ心がほこりとなります。

〔ほしい(欲しい)〕
値を出さず欲しがる心。人のものを見て欲しがり、あるが上にもさらに手に入れたいと思う心。自分が尽くしもせず、ああして欲しいこうして欲しいと他人に求める心がほこりとなります。

〔にくい(憎い)〕
自分の気にいらない、と言って人を憎む心。人が意見や忠告してくれるのを悪くとって、その人を憎む心。人があやまちを犯したと陰口を言ってそしり笑う心がほこりとなります。

〔かわい(可愛い)〕
我が身だけ可愛い心。我が子だけ可愛い心。特別の者だけ、特に可愛いがる偏愛心がほこりとなります。

〔うらみ(恨み)〕
自分の思惑を邪魔されたと言って恨む心。自分の非を反省せず人のせいにして恨む心がほこりとなります。

〔はらだち(腹立ち)〕
人が自分の気に入らぬことを言ったと腹を立てる。間違ったことをしたと言って腹を立てる。気短かな心から、少しのことにも腹を立てる心がほこりとなります。

〔よく(欲)〕
人のものを盗み、人の物を無理にでもとりこみたい心。人の目をごまかして少しでも多く儲けたいと思う心がほこりになります。

〔こうまん(高慢)〕
自分に非や欠点がないと思い、人を見下げる心。知らないことも知った顔をしていたい心。人の立場や気持ちを無視し、他人の意見を聞かない強情な心。人にあやまったり、負けたりするのが何よりきらいな心がほこりとなります。


この八つのほこりというものは聞きよう、取りようによって間違うものでありますから、よく聞き分けねばなりません。

ほこりは早めに掃除さえすれば簡単にきれいになりますが、放っておけばいつの間にか積もり重なって、ついには掃いても拭いてもなかなか取り除きにくくなります。

人のためを思う低い、やさしい、すなおな心、言葉、行ないでほこりの掃除をしましょう。
《くにとこたちのみこと》
人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。

《をもたりのみこと》
人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。

《くにさづちのみこと》
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。

《月よみのみこと》
人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。

《くもよみのみこと》
人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。

《かしこねのみこと》
人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理。

《たいしょく天のみこと》出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。

《をふとのべのみこと》
出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。

《いざなぎのみこと》
男雛型・種の理。

《いざなみのみこと》
女雛型・苗代の理。
『長いという、長い心持たにゃならん。長いという心の中に、身上自由なあと思う処、取り直し。末代という理は、これより無い程に。皆生まれ更わり/\と言う。よう聞き分け。この理分かれば、日々苦し中に楽しみあろ。………どんな理も世上にある。この理聞いて心に“たんのう”。………成らん中の“たんのう”は前生“いんねん”の“さんげえ”である。身上の処大層。一時でないなれど、満足与えて、楽しみ付けてやれ。運び損にならん程に、尽し損にならん程に。末代の理に受け取ってある程に。』(M34.9.27)
『二度三度の身の障り、これまでの身の障り順序の速やかなるは身の障りに、神の思わく授けもの。内内の処、心一つ定め。一度とも二度とも三度やら分からん。さあ/\何時とも。』(M20.8.28)
『人間というものは、身は“かりもの”と、話もこれはして居るやろ。内に誠という理を聞き分け。自由自在というは、めん/\誠の心である。世上より成程の人や/\と言う心、天に映る。これが“たすけ”の理や。救けるには、めん/\未だ/\と、心治め。成程という心治めば、身も治まるやろう。』(M21.6.10)


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