僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき
03.028 人のものかりたるならばりかいるで はやくへんさいれゑをゆうなり 03.029 子のよなきをもふ心ハちがうでな こがなくでな神のくときや 03.030 はや/\と神がしらしてやるほどに いかな事でもしかときゝわけ 03.031 をや/\の心ちがいのないよふに はやくしやんをするがよいぞや 03.032 しんぢつに人をたすける心なら 神のくときハなにもないぞや 03.033 めへ/\にいまさいよくばよき事と をもふ心ハみなちがうでな 03.034 てがけからいかなをふみちとふりても すゑのほそみちみゑてないから 03.035 にんけんハあざないものであるからに すゑのみちすじさらにわからん 03.036 いまの事なにもゆうでハないほどに さきのをふくハんみちがみへるで 03.037 いまのみちいかなみちでもなけくなよ さきのほんみちたのしゆでいよ 03.038 しんぢつにたすけ一ぢよの心なら なにゆハいでもしかとうけとる 03.039 口さきのついしよはかりハいらんもの しんの心にまことあるなら 03.040 たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ 03.041 にんけんハみな/\神のかしものや なんとをもふてつこているやら 訳)「人の物を借りたなら、利息も要るし、早く返済してお礼を言うの〈が世界の道理〉である。子の夜泣きについて考えている心は違う。子が泣いているの〈をなぜ泣くと思うな。そう〉ではない。神が口説いているのである。〈このように前もって〉早々と神が知らしてやるから、〈夜泣きだけでなく〉どんなことについても〈神の言うことを〉しっかり聞き分けよ。親の心違いのないように、早く思案をするがよい。〈神の急込んでいることは“たすけ”のことであるので〉本当に人をたすける心であるなら、神の口説きは何もない。当人が〈勝手に〉“今さえよければいい”と思うのは、心違いである。出掛け〈最初〉からどんな大道を通っても、〈そんな心ではやがて〉行く末の細道〈を通らねばならない。それ〉が見えて(分かって)いない。人間は浅はかなものであるから、行く末〈どんなになるか、そ〉の道筋は全くわからない。〈それ故〉今のことを言っていてはいけない。先の方には往還道(広い道)が見える。今の道がどんな道でも嘆くな。先の本道を楽しんでいよ。本当に “たすけ”一条の心であるなら、何も言わずとも、神はその心を受けとる。しんの心に誠さえあるなら、口先の追従など不要である。だんだんと何事についても、この世は“神のからだ”ということを思案してみよ。〈また〉人間〈の体〉はみな“神のかしもの”である。何と思って使っているのか。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照) PR
第三号つづき
03.019 にち/\に神のはなしがやま/\と つかゑてあれどとくにとかれん 03.020 なにゝてもとかれん事ハないけれど 心すましてきくものハない 03.021 すみやかに心すましてきくならば よろづのはなしみなときゝかす 03.022 このよふのたしかためしかかけてある これにまちがいないとをもゑよ 03.023 このためしすみやかみゑた事ならば いかなはなしもみなまことやで 03.024 なにもかもいかなはなしもとくほどに なにをゆうてもうそとをもうな 03.025 めへにめん神のゆう事なす事わ なにをするとも一寸にしれまい 03.026 はや/\とみへるはなしであるほどに これがたしかなしよこなるぞや 03.027 これをみてなにをきいてもたのしめよ いかなはなしもみなこのどふり 訳)「日々に、“神の話”が山ほどもつかえてあるが、説くに説かれない。〈神の方から〉何でも説くことはできるが、心を澄まして聞く者がいない。早く、心を澄まして聞くならば、どんな話もみな説き聞かそう。〈この“かんろだい”については〉この世の確かな試しが懸けてある。これに間違いないと思え。この試しがはっきりと見え〈て来〉たなら、〈神の話は〉どんな話も、みな本当である〈ということの証拠となる〉。〈それ故〉何も彼も、どんな〈難しい〉話も説いて置くので、何を言っても嘘と思うな。眼に見えぬ神の言うこと為すことは、何をするのか〈簡単には〉分からないであろう。〈しかし〉直ぐ〈その通り実現されて〉見える話であって、これが〈神の話が真実であるという〉確かな証拠である。これを見て、何を聞いても楽しんで〈信仰について〉来い。どんな話もみんなこれと同じ道理である。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
第三号つづき
03.015 このよふのにんけんはじめもとの神 たれもしりたるものハあるまい 03.016 どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ それがたん/\さかんなるぞや 03.017 このたびハたすけ一ぢよをしゑるも これもない事はしめかけるで 03.018 いまゝでにない事はじめかけるのわ もとこしらゑた神であるから 訳)「この世の人間〈と、この世界〉を初め掛けた〈創造した〉元の神については、誰も〈何も〉知らないであろう。泥海の中から〈道具を寄せてこれに色々の〉守護〈の方法〉を教え掛け、それ(そこに出来た人間)がだんだんと栄えて来た。このたび“たすけ”一条〈の道〉を教えるのも、これも〈今までに〉ない事を初め掛けるのである。今までにないことを初め掛けるというのも、元拵えた(創造した)神であるから〈できるのである〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
第三号つづき
03.007 これからハ水にたとゑてはなしする すむとにごりでさとりとるなり 03.008 しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい 03.009 このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん 03.010 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ 03.011 このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや 03.012 このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを 03.013 はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく 03.014 このはなしさとりばかりであるほどに これさとりたらしよこだめしや 訳)「これからは、水に喩えて話すので、澄むと濁りということから悟れ。神が心から急込んでいるのは、“しんのはしら”を早く入れたい〈ということである〉。この柱を早く入れようと思っても、濁り水のため入れる所がわからない。この〈濁り〉水を早く澄ます段取り〈として〉は、水嚢(汚れた水をこす袋のようなもの)と砂に掛けて澄ますようにせよ。そんな水嚢がどこにあると思うな、“むね”〈悟り〉と“くち”〈諭し〉とが砂と水嚢である。この話がすみやかに悟りがつい〈てよくわかっ〉たなら、直ぐに“しんのはしら”を入れる。“はしら”さえしっかり入れ(据え)たなら、この世は確かに治まりがつく。この話は〈人間の考えではわからないので、心を澄まして〉悟る以外にはない。これが悟れたら、証拠試しをする。」 注)“しんのはしら”とは、しん(芯、中心)となる柱で、ここでは“かんろだい”を指す。また合わせて“真柱”(のちの中山眞之亮初代真柱)も指している。
昨年に、第一号、第二号を書かせていただきましたが(http://silver.ap.teacup.com/applet/moonlightneo/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%81y%82%a8%82%d3%82%c5%82%b3%82%ab%81z&inside=1)、今年は、第三号からの訳などを書かせていただきたいと思います。
03.001 このたびハもんのうちよりたちものを はやくいそいでとりはらいせよ 03.002 すきやかにそふぢしたてた事ならば なハむねいそぎたのみいるそや 03.003 しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ 神一ぢよで心いさむる 03.004 だん/\とせかいの心いさむなら これがにほんのをさまりとなる 03.005 いまゝでハなによの事もハかりない これからみゑるふしぎあいづが 03.006 こんものにむりにこいとハゆうでなし つきくるならばいつまでもよし 訳)「この度は、門の内より〈今話題の〉建物を早く急いで取払いせよ。そのあとをすっきりと掃除してしまったら、縄棟(縄を棟のように張って建築表示をするもの)を急いで頼む。本当に掃除を〈すっきり〉したら、その後は〈内の者の心が〉“神一条”〈親神のお話一条〉になって心がいさんで来る。だんだんと〈布教伝道が行われて〉世界の心もいさんでくるなら、これがにほんの治まりとなる。今までは〈神の思惑は〉どんなことも、はっきりとわからなかった〈であろう。しかし〉これからは〈心いさんでかかれば神もいさんで働いて〉“不思議合図”ということが見えて来る〈すなわち神の手引きによって人々が寄って来る〉。来ないものに無理に来いと言うのではない。〈“にをい”がかかって慕って信仰に〉ついて来るならいつまでもよし。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
七下り目
一ツ ひとことはなしハ ひのきしん にほひばかりを かけておく 二ツ ふかいこゝろが あるなれバ たれもとめるで ないほどに 三ツ みなせかいの こゝろにハ でんぢのいらぬ ものハない 四ツ よきぢがあらバ 一れつに たれもほしいで あらうがな 五ツ いづれのかたも おなしこと わしもあのぢを もとめたい 六ツ むりにどうせと いはんでな そこはめい/\の むねしだい 七ツ なんでもでんぢが ほしいから あたへハなにほど いるとても 八ツ やしきハかみの でんぢやで まいたるたねハ みなはへる 九ツ こゝハこのよの でんぢなら わしもしつかり たねをまこ 十ド このたびいちれつに ようこそたねを まきにきた たねをまいたる そのかたハ こえをおかずに つくりとり なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 八下り目 一ツ ひろいせかいや くになかに いしもたちきも ないかいな 二ツ ふしぎなふしんを するなれど たれにたのみ八 かけんでな 三ツ みなだん/\と せかいから よりきたことなら でけてくる 四ツ よくのこゝろを うちわすれ とくとこゝろを さだめかけ 五ツ いつまでみあわせ ゐたるとも うちからするのや ないほどに 六ツ むしやうやたらに せきこむな むねのうちより しあんせよ 七ツ なにかこゝろが すんだなら はやくふしんに とりかゝれ 八ツ やまのなかへと いりこんで いしもたちきも みておいた 九ツ このききらうか あのいしと おもへどかみの むねしだい 十ド このたびいちれつに すみきりましたが むねのうち なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 九下り目 一ツ ひろいせかいを うちまわり 一せん二せんで たすけゆく 二ツ ふじゆうなきやうに してやらう かみのこゝろに もたれつけ 三ツ みれバせかいの こゝろに八 よくがまじりて あるほどに 四ツ よくがあるなら やめてくれ かみのうけとり でけんから 五ツ いづれのかたも おなじこと しあんさだめて ついてこい 六ツ むりにでやうと いふでない こゝろさだめの つくまで八 七ツ なか/\このたび いちれつに しつかりしあんを せにやならん 八ツ やまのなかでも あちこちと てんりわうの つとめする 九ツ こゝでつとめを してゐれど むねのわかりた もの八ない とてもかみなをよびだせば はやくこもとへ たづねでよ なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 十下り目 一ツ ひとのこゝろと いふもの八 ちょとにわからん ものなるぞ 二ツ ふしぎなたすけを していれど あらはれでるのが いまはじめ 三ツ みづのなかなる このどろう はやくいだして もらひたい 四ツ よくにきりない どろみづや こゝろすみきれ ごくらくや 五ツ いつ/\までも このこと八 はなしのたねに なるほどに 六ツ むごいことばを だしたるも はやくたすけを いそぐから 七ツ なんぎするのも こゝろから わがみうらみで あるほどに 八ツ やまひはつらい ものなれど もとをしりたる もの八ない 九ツ このたびまでハ いちれつに やまひのもと八 しれなんだ 十ド このたびあらはれた やまひのもと八 こゝろから なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 十一下り目 一ツ ひのもと しよやしきの かみのやかたの ぢばさだめ 二ツ ふうふそろうて ひのきしん これがだいゝち ものだねや 三ツ みれバせかいが だん/\と もつこになうて ひのきしん 四ツ よくをわすれて ひのきしん これがだいゝち こえとなる 五ツ いつ/\までも つちもちや まだあるならバ わしもゆこ 六ツ むりにとめるや ないほどに こゝろあるなら たれなりと 七ツ なにかめづらし つちもちや これがきしんと なるならバ 八ツ やしきのつちを ほりとりて ところかへる ばかりやで 九ツ このたびまでは いちれつに むねがわからん ざんねんな 十ド ことし八こえおかず じふぶんものを つくりとり やれたのもしや ありがたや なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 十二下り目 一ツ いちにだいくの うかゞひに なにかのことも まかせおく 二ツ ふしぎなふしんを するならバ うかゞひたてゝ いひつけよ 三ツ みなせかいから だん/\と きたるだいくに にほいかけ 四ツ よきとうりやうか あるならバ はやくこもとへ よせておけ 五ツ いづれとうりやう よにんいる はやくうかゞい たてゝみよ 六ツ むりにこいと八 いはんでな いづれだん/\ つきくるで 七ツ なにかめづらし このふしん しかけたことなら きり八ない 八ツ やまのなかへと ゆくならバ あらきとうりやう つれてゆけ 九ツ これ八こざいく とうりやうや たてまへとうりやう これかんな 十ド このたび いちれつに だいくのにんも そろいきた なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと
一下り目
一ツ 正月こゑのさづけは やれめづらしい 二ニ につこりさづけ もろたら やれたのもしや 三ニ さんざいこゝろを さだめ 四ツ よのなか 五ツ りをふく 六ツ むしやうにでけ まわす 七ツ なにかにつくり とるなら 八ツ やまとハほうねんや 九ツ こゝまでついてこい 十ド とりめがさだまりた なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 二下り目 とん/\とんと正月をどりはじめハ やれおもしろい 二ツ ふしぎなふしん かゝれバ やれにぎはしや 三ツ みにつく 四ツ よなほり 五ツ いづれもつきくる ならば 六ツ むほんのねえを きらふ 七ツ なんじふをすくひ あぐれバ 八ツ やまひのねをきらふ 九ツ こゝろをさだめ ゐやうなら 十デ ところのをさまりや なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 三下り目 一ツ ひのもとしよやし きの つとめのばしよハ よのもとや 二ツ ふしぎなつとめ ばしよハ たれにたのみは かけねども 三ツ みなせかいがより あうて でけたちきたるが これふしぎ 四ツ よう/\こゝまで ついてきた じつのたすけハ これからや 五ツ いつもわらはれ そしられて めづらしたすけを するほどに 六ツ むりなねがひは してくれな ひとすぢごゝろに なりてこい 七ツ なんでもこれから ひとすぢに かみにもたれて ゆきまする 八ツ やむほどつらい ことハない わしもこれから ひのきしん 九ツ こゝまでしんじん したけれど もとのかみとハ しらなんだ 十ド このたびあらはれた じつのかみには さうゐない なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 四下り目 一ツ ひとがなにごと いはうとも かみがみている きをしずめ 二ツ ふたりのこゝろを をさめいよ なにかのことをも あらはれる 三ツ みなみてゐよ そばなもの かみのすること なすことを 四ツ よるひるどんちやん つとめする そばもやかまし うたてかろ 五ツ いつもたすけが せくからに はやくやうきに なりてこい 六ツ むらかたはやくに たすけたい なれどこゝろが わからいで 七ツ なにかよろづの たすけあい むねのうちより しあんせよ 八ツ やまひのすつきり ねはぬける こゝろはだん/\ いさみくる 九ツ こゝはこのよの ごくらくや わしもはや/\ まゐりたい 十ド このたびむねのうち すみきりましたが ありがたい なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 五下り目 一ツ ひろいせかいの うちなれバ たすけるところが まゝあらう 二ツ ふしぎなたすけハ このところ おびやはうその ゆるしだす 三ツ みづとかみとは おなじこと こゝろのよごれを あらひきる 四ツ よくのないもの なけれども かみのまへにハ よくはない 五ツ いつまでしんじん したとても やうきづくめで あるほどに 六ツ むごいこゝろを うちわすれ やさしきこゝろに なりてこい 七ツ なんでもなんぎは さゝぬぞへ たすけいちじよの このところ 八ツ やまとばかりや ないほどに くに/\までへも たすけゆく 九ツ こゝはこのよの もとのぢば めずらしところが あらはれた どうでもしんじんする ならバ かうをむすぼや ないかいな なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと 六下り目 一ツ ひとのこゝろと いふものハ うたがひぶかい ものなるぞ 二ツ ふしぎなたすけを するからに いかなることも みさだめる 三ツ みなせかいの むねのうち かゞみのごとくに うつるなり 四ツ ようこそつとめに ついてきた これがたすけの もとだてや 五ツ いつもかぐらや てをどりや すゑではめづらし たすけする 六ツ むしやうやたらに ねがひでる うけとるすぢも せんすぢや 七ツ なんぼしんじん したとても こゝろえちがひは ならんぞへ 八ツ やつぱりしんじん せにやならん こゝろえちがひは でなほしや 九ツ こゝまでしんじん してからハ ひとつのかうをも みにやならぬ 十ド このたびみえました あふぎのうかゞひ これふしぎ なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと
よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな このたびはかみがおもてへあらわれて なにかいさいをとききかす このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ このもとをくわしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる ききたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり 一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこころもいさめかけ なむ てんりおうのみこと よしよし
『案じりゃ色を替え品を替え、何ぼでも案じんならん。………身上速やかなれば何時なりとしっかり事情を固めてくれ。未だいかんというは心に跨(また)がりの理があるから。だん/\の“さしづ”刻限という、“さしづ”という、“をや”の代わり“をや”の代理という理を聞き分けるなら、見て直ぐと治まる。………どんな事にも“さしづ”は一寸(ちょっと)も間違わん。心に跨りがあっては千里真直ぐな道でも、跨りがあっては明らかとは言わん。』(M23.11.23)
※跨りの理(心)とは、案じ心や迷いの心、又は批判の心のことであり、神様に100%凭(もた)れきれない、素直に成り切れない心を言う。
『通りよい道だけ通りて居ては通り難くい道来る。一つ道理に適わぬ。これから聞き分け。いつ/\まで親に抱かれて居ては、欲しいと言えば与える。欲しいだけ与えば、これは楽のもの。親の代わり、代わりするようになれば、めん/\苦労すれば分かる。』(M34.5.15)
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