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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき

03.086
いまゝでハからがにほんをまゝにした 神のざんねんなんとしよやら

03.087
このさきハにほんがからをまゝにする みな一れつハしよちしていよ

03.088
をなじきのねへとゑだとの事ならバ ゑだハをれくるねハさかいでる

03.089
いまゝでわからハゑらいとゆうたれど これからさきハをれるはかりや

03.090
にほんみよちいさいよふにをもたれど ねがあらハればをそれいるぞや

03.091
このちからにんけんハさとをもハれん 神のちからやこれハかなわん

訳)「今までは“から”が“にほん”をままに(自由に)した。この神の“ざんねん”をどうしよう〈と思う程である〉。この先は〈神が“にほん”の者を連れて表へ出るから〉、“にほん”が“から”をままにする〈、そうしてこの世を治めて行く〉。みな一れつは承知していよ。〈“にほん”も“から”も〉同じ樹(人間)の根(元)と枝(先)とのことであるから、〈何かの異変があるときは〉枝先は折れてくるし、根元は栄えでる。今までは“から”は偉いと言っていたが、これから先は折れるばかりである。“にほん”を見よ、小さいように思っていた〈のであろう〉が、根(元)が現れれば恐れ入るぞ。{この〈“にほん”の〉力は人間業と思われない、これは神の力だ、これにはかなわない}〈と“から”の者は言うようになる〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
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第三号つづき

03.081
これからハ神の心と上たるの 心と心のひきやハせする

03.082
このはなし一寸の事やとをもうなよ 神がしんぢつみかねたるゆへ

03.083
これからハ神のちからと上たるの ちからくらべをするとをもへよ

03.084
いかほどのごふてきあらばだしてみよ 神のほふにもばいのちからを

03.085
しんぢつの神がをもていでるからハ いかなもよふもするとをもゑよ

訳)「これからは神の心と上たる者の心と心をひき合わせる。この話をちょっとしたことと思うな。神が、〈上が無知故に“せかい”を危ない道に指導して行く〉真実を見かねた故〈にする大事な話〉である。これからは、神の力と上たる者の力と、力競(くら)べをすると思え。どれ程の剛的(剛の者)でも、居るなら出してみよ。神の方には倍の力がある。真実の神が表へ出るのであるから、どんな手段をも講ずると思え。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
第三号つづき

03.073
十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ

03.074
このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ

03.075
にち/\に神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい

03.076
これからハにんぢうそろをてつとめする これでたしかににほんをさまる

03.077
しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや

03.078
なにもかもたすけ一ぢよとめるなら 神のさんねんみにさハりつく

03.079
しやんせよ万たすけのこのもよふ にんけんハざとさらにをもうな

03.080
いまゝでハなにかよろづがハからいで みなにんけんの心ばかりで

訳)「十一に九で(二十)苦がなくなって辛(しん)を忘れる正月二十六日を待つ。この間に“しん”も付き来る〈ので〉慾を忘れて、人衆が揃って“つとめ”のできる準備をする。日々に神の心に急込んでいるのは、自由自在〈のたすけの守護〉を早く見せたいということである。これからは人衆が揃って〈“かんろだい”の〉“つとめ”をする。〈この“つとめ”によって珍しい自由自在のたすけの証拠ができるので、〉これで確かに“にほん”は治まる。真実に“たすけ”一条であるから、どんな怖いことも全くない。〈ただ〉なんでも“たすけ”一条を止めるというなら、神の“ざんねん”が〈その者の〉身上に現われて来る〈とだけは言っておく〉。よく思案してみよ、“よろづたすけ”をするこのもよう(手段)は人間業と少しでも思ってはいけない。今までは〈胸が分からないため〉何についても無知のままに、人間心でやって来た〈が、これは違う〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)

注)七三のおうたは、明治二十年陰暦正月二十六日の予言をされているおうたと言われています。
第三号つづき

03.068
このよふをはじめた神のしんぢつを といてきかるうそとをもうな

03.069
いまゝでもしんがくこふきあるけれど もとをしりたるものハないぞや

03.070
そのはづやどろうみなかのみちすがら しりたるものハないはづの事

03.071
これまでハこのよはじめてない事を たん/\といてきかす事なり

03.072
なにもかもない事はかりとくけれど これにまちごた事ハないぞや

訳)「この世を初めた神の真実〈の話を〉説いて聞かす。嘘と思うな。今までもしんがく(心学・神学)こふき(古記)〈の如き教理〉はあるが、元を知って〈教えて〉いるものはない。それもその筈で、泥海なかより〈初まって今日に至った人間〉の道すがら(道程)を知っている者はないのだから。これまでは、この世初めてから、ない事(知らないことを)を」だんだんと説いて聞かせる。何も彼もない事ばかり説くけれども、これに間違ったことはない〈みな真実である〉。(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
昨日の記事に引き続き“いんねん”のお話をさせていただきたいと思います。

親神様は、子供可愛いゆえから、人間の心違いを直してやろうと、あえて身上に印しをつけて下さいます。
このお道につながり、その親神様の思召しに早く気づかせていただいた我々は、ほんとうにありがたいことなのだと思います。やはり、前生前々生において、このお道につなげていただけるという“白いんねん”があったからだと思います。
僕は、このお道に深くつながらせていただくのに四十年くらいかかりましたが、早くにお道につなげていただける方は、よほど良い“白いんねん”があるのだと思います。
しかしまた、いんねんの悪いものほど、このお道につながる人が多いとも 思われます。それは、なんとかして可愛い子供を救けたいとの親神様の深い思召しから、もうどこへ行っても救からないと思われる人が、いやがおうでもこのお道に引き寄せて下さるのです。
“いんねん”には、三つあるとお伺いしています。まず一つ目は、親神様が「人間を造って陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい」と思召されて人間をお造りになられた“元のいんねん”、二つ目は、善き心づかいで人をたすけたり良い事を為した“白いんねん”、これを『徳』と言います。そして三つ目は、悪しき心づかいで悪いことを為した“悪いんねん”、これを「ほこり」と言います。

人間は最初は澄み切った清水のような心であったものが、だんだんと知恵がつき自分勝手な心をつかい出したことにより、“ほこり”が積み重ねられました。その“ほこり”が何生も積み重ねられてきたものが“悪いんねん”となっているのです。
しかし、すべての人間には、“悪いんねん”だけではなく、多かれ少なかれ“白いんねん”もあり、親神様の思召された“陽気ぐらし”に向かうための“元のいんねん”があるのです。
今日は、少し『おふでさき』を休ませていただいて、天理教の真髄についてお話させていただきたいと思います。

天理教の真髄は、自分自身の前生前々生の悪因縁をしっかりと自覚させていただいき“さんげ”し“たんのう”の心を治めさせていただいた上で、命をかけて“ひながた”の道を真剣に辿り、悩み苦しむ人々に、その苦しみの原因を諭し教えさせていただき、“おさづけ”を取り次いで“おたすけ”をさせていただくことであります。そして、『“陽気ぐらし”へと続く“魂の成人”への道』を一歩一歩確実に歩ませていただくものなのだと僕は認識させていただいています。
第三号つづき

03.059
いまゝでハなにをゆうてもみへてない もふこのたびハせへつうがきた

03.060
これからハよふきづとめにまたかゝる なんの事やら一寸にしれまい

03.061
今までもしりてはなしてはなしとも といてあれどもなんの事やら

03.062
これまでハいかなはなしをといたとて ひがきたらんでみへてないぞや

03.063
これからわもふせへつうがきたるから ゆへばそのまゝみへてくるぞや

03.064
しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや

03.065
しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり

03.066
にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない

03.067
はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく

訳)「今までは何を言っても見えて〈実現して〉ないが、もうこのたびは〈実現すべき〉“せつ”(時節)が来た。これから“よふきづとめ”〈の段取り〉に再びとり掛かるが、どういうことかちょっとには分からないであろう。今までも{知りて話して話する}と説いてあるが、これも何のことか分からない〈でいずんでいる〉。〈それも無理はないので〉これまでは、どんな話も説き聞かせたが、その日が来ないので〈話の通りに〉実現していない〈から〉。〈しかしもう〉これからは時節が到来したので、言えばそのまま実現して来る。〈その例を予言しておくから〉しっかり聞いておけ、{三六二五の暮合いに胸の掃除を神がする。}思案してみよ。どれほど澄んだ水でも、泥を入れれば濁る。濁り水を早く澄ましてしまわないことには、“しんのはしら”の入れようがない。〈心を澄まして〉“はしら”を早く入れたことなら、末代にまでしっかり治まりがつく。」

注)三六二五の暮合いに………は、立教三十六年、陰暦明治六年十月二十五日と推定されていて、その日に信者が来てお屋敷の掃除をしたということだそうです。それは、今日でいう“ひのきしん”としての珍しい出来事として当時のお屋敷の人々に受け取られたが故に伝えられたと思われるとありました。(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
第三号つづき

03.048
高山ハせかい一れつをもうよふ まゝにすれともさきハみゑんで

03.049
だん/\とをふくよせたるこのたちき よふほくになるものハないぞや

03.050
いかなきもをふくよせてハあるけれど いがみかゞみハこれわかなハん

03.051
せかいぢうむねのうちよりしんばしら 神のせきこみはやくみせたい

03.052
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ 神がほふけやしかとみでいよ

03.053
これからハ神がをもていあらわれて 山いかゝりてそふちするぞや

03.054
いちれつに神がそふちをするならば 心いさんてよふきつくめや

03.055
なにもかも神がひきうけするからハ どんな事でもぢうよぢさを

03.056
このたびハうちをふさめるしんばしら はやくいれたい水をすまして

03.057
高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく

03.058
上たるハだん/\せかいまゝにする 神のざんねんなんとをもうぞ

訳)「高山は“せかい”の人をみな思うように勝手にしているが、〈眼の前のことだけで〉先(将来)のことは何にも見えていない。〈神は先を見てたすけるので、その“たすけ”のために働く者を〉だんだんと多く寄せてはあるが、この立木(人)で“よふぼく”(用木、人材)となるものは中々ない。いろいろな木(人)を沢山寄せてはあるが、〈精神が〉いがみかがみの(曲った)者は“よふぼく”に適しない〈ということを思案せよ〉。世界中胸の内より〈“わかる”ように〉“しんばしら”を早くみせたい。これを神は急込んでいる。〈そうしておいて〉世界中(“うち”も“せかい”も)胸の内を掃除する。この掃除には神が箒(ほうき)となるから、しっかり見ていよ。これからは神が表へ現われて、山(人間の生活)にかかわって掃除する。全部みな神が掃除をしたなら、〈人間も神も〉心がいさんで“陽気づくめ”となる。〈この“たすけ一条”の道は〉なんでも皆神が引き受けるから、どんな事でも、自由自在(じゆうようじざい)〈に神がたすけをさせるの〉である。このた
びは“うち”を治める真柱を早く入れたい〈故に〉水を澄まして〈行くのを急込んでいる〉。〈“うち”の真柱に対して〉高山の芯の柱は“とうじん”(“から”の者・神のことがわからぬ者)である。これが第一に神の“りっぷく”〈の元である〉。〈その高山に居る〉上たる者は、〈今まで〉だんだんと世界〈の人々〉をままに(自由に)してきている。〈これを見ている〉神の“ざんねん”を何と思っているか。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
第三号つづき

03.042
ことしにハめつらし事をはじめかけ いまゝでしらぬ事をするぞや

03.043
いまゝでハなによの事もせかいなみ これからわかるむねのうちより

03.044
このたびハたすけ一ちよにかゝるのも わがみのためしかゝりたるうゑ

03.045
たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど

03.046
このところよろつの事をときゝかす 神いちじよでむねのうちより

03.047
わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる

訳)「今年には珍しいことを初め掛ける。今までに〈人間の〉知らぬことをする。今までは〈神のすることを〉何ごとにつけても世界並〈に理解していた〉。これからは胸の内より真にわかる〈ようにせねばならぬ〉。このたびは“たすけ”一条にとり掛かるにも、わが身の試しに懸かった上である。“たすけ”といっても〈神の教える“たすけ”は〉拝み祈祷でたすけるのでも、伺いを立ててたすけるのでもない〈が、神が必ずたすける〉。〈それには、“たすけ”のために働く者は〉この所(お屋敷)で万事説いて聞かす〈ことをよく心におぼえよ〉。〈それが〉“神一条”であり、胸の内より〈“わかる”ということである。それ故〉“わかる”ように胸の内を“すまして”思案せよ。『人をたすけたらわが身もたすかる』〈のは道理であろう。わが身のことは心配するな〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)


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