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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第四号つづき

04.096
いまのみち神のせきこみうちなるハ あんぢないぞやしかとみていよ

04.097
これまでとみちがかわるとゆうてある 神ハちごふた事ハゆハんで

04.098
このさきハ神の心のせきこみを くちでハどふむゆうにゆハれん

04.099
いかほどにむつかし事とゆふたとて とかすにいてハわかるめハなし

04.100
にち/\に神のをもわくだん/\と といてをくぞやこれきいてくれ

04.101
このみちハなにかむつかしめつらしい みちであるぞやたしかみていよ

04.102
このみちをとふりぬけたらそのさきハ からハにほんのぢいにしてある

04.103
からのぢをにほんぢいにしたならば これまつだいのいきどふりなり

訳)「神の急込んでいる今の道を、“うち”の者は心配しているが、案じることはない。しっかり見ていよ。これまでと道が変わると言ってある。神は違ったことは言わない。この先は神の心の急込みを口ではどうも言うに言われない。〈言うのが〉どんなに難しいといっても、説かないでは分かりようがない。〈それ故〉日々に神の思惑をだんだんと説いておくから、よく聞いてくれ。この〈思惑の〉道は、全く難しい〈しかし〉珍しい道である。しっかり見ていよ。この道を通り抜けたなら、その先は、“から”は“にほん”の地にしてある。“から”の地を“にほん”の地にしたならば、これは末代(永遠)の生き通りである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)

注)「地」=「心」
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最近は、現況などはなにも書いていませんでしたが、昨日やっと“理の子”たちが、別席の二席目を運ばせていただくことができました。
最近は、寒い日が続いいますが、昨日はお天気もよく暖かい日で、いろんな意味でほんとうに結構なご守護をいただくことができました。

また、これからも“理の子”たちに自分自身の因縁や我が家の因縁を見せていただいていることに感謝させていただき、なお一層“たんのう”させていただいてお道を通り切らせていただきたいと思います。

ひろ
第四号つづき

04.090
これからハこのよはじめてないつとめ だん/\をしへてをつけるなり

04.091
このつとめせかいぢううのたすけみち をしでもものをゆハす事なり

04.092
にち/\につとめのにんぢうしかとせよ 心しづめてはやくてをつけ

04.093
このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを

04.094
このみちがたしかみゑたる事ならば やまいのねゑわきれてしまうで

04.095
しんぢつの心しだいにいづかたも いかなしゆごふもせんとゆハんで

訳)「これからは、この世を初めて〈から、まだ教えて〉ない“つとめ”を、だんだんと教え、“手”をつける。この“つとめ”は、世界中のたすけ道(たすけの手段)で、ものを言えない者でもものが言えるようにするのである。〈それ故〉日々に“つとめ”の人衆はしっかりせよ。心をしずめて早く“つとめ”にとりかかれ。この“つとめ”を何の事かと思っている〈が、この“つとめ”によって〉世界を治め、〈世界を〉たすける(自然の恵みを守護する)のである。この道が確かに見えて(実現して)来たなら、〈人間の〉病の根は切れてしまう。真実の心次第に、どこにおいても、誰でも、どんな守護でもしてやろう。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.079
せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ

04.080
せかいぢうせきゝよとしてはちめかけ といてきかするきゝにいくなり

04.081
いかほどにみゑたる事をゆうたとて もとをしらねばハかるめハなし

04.082
だん/\とない事ばかりゆてをいて それでたならばこれがまことや

04.083
一れつに神にもたれるこのこども はやくをもていでるもよふせよ

04.084
しんぢつにをもてゞよふとをもうなら 心しづめてしんをたづねよ

04.085
このこどもしんぢつよりもむねのうち みさだめつけばいかなもよふも

04.086
にち/\に神の心わせきこめど こともの心わかりないので

04.087
こともでも一寸の人でハないからに をふくのむねがさらにハからん

04.088
いまゝでハがくもんなぞとゆうたとて みゑてない事さらにしろまい

04.089
このさきハみへてない事だん/\と よろづの事をみなといてをく

訳)「世界中〈の人間〉は、神にとっては皆わが子である。すべての者はみな〈神を〉親と思え。世界中〈どこでも、話をしらせるのに、まず〉説教〈の形式〉として始め掛ける。説いて聞かせる、聞きに行く〈というのが世間のやり方である〉。〈しかし〉どれほど見えたようなことを言っても、〈言う方が人間やこの世の〉元を知っていないのであるから、〈聞く方で〉わかる筈がない。だんだんとないこと(今は目に見えないこと)ばかり言っておいて、それがその通りになるならば、これが本当である〈。その通りになるのは元を知っているからである〉。一れつに、神にもたれるこの〈布教伝道しようとする〉“こども”よ、早く表へ出るもよう(準備)をせよ。本当に表へ出ようと思うなら、心しずめて“しん”(元)を尋ねよ。この“こども”の胸の内が〈神の方で〉本当に見定めがついたなら、〈説教に限らず〉どんなもよう(手段)も〈講じて話が伝わるようにしよう〉。日々神の心は急込んでいるが、“こども”(人間)の方はさっぱりわからない。“こども”でも少しではな
い、沢山いても全然わかっていない。今までは学問なぞと言っても、見えていないことは全く知らないであろう。〈しかし神は〉この先(将来)は見えてないことを万事〈必要なだけは〉みな説いておく。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.069
うちなるハ上をふもふていづみいる こわみないぞや神のうけやい

04.070
いまゝでとみちがかわりてあるほどに はやくせきこみをふくハんのみち

04.071
このみちハいつの事やとをもている はやくてゝみよもふいまの事

04.072
だん/\とふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ

04.073
これさいかはやくさとりがついたなら みのうちなやみすゞやかになる

04.074
つとめても初てをどりまたかぐら 一寸のほそみちつけてあれども

04.075
だん/\とくさがしこりてみちしれす はやくほんみちつけるもよふを

04.076
にち/\に心いさんでせきこめよ はやくほんみちつけた事なら

04.077
しんぢつにこのほんみちがついたなら すへハたのもしよふきづくめや

04.078
村かたハなをもたすけをせへている はやくしやんをしてくれるよふ

訳)「“うち”なる者は上を思っていずんでいる。怖いことはない、神が請け合う。今までと道が変わっているから、早く往還の道に出るよう急込むのである。この道はいつのことと思っているが、早く出てみよ、もう今のことである。〈この道が変わっていることについて〉だんだんと(順序を追って)筆(ふでさき)に知らしてあるから、早く心に悟り取るがよい。これさえ早く悟りがついたなら、身の内の悩みもすずやかに(すっきりよく)なる。“つとめ”でも、初めは“てをどり”〈を教え、次いで〉また“かぐら”〈のことも教えて〉、ちょっとの細道を付けてはあるが、だんだんと草がしこって(繁って)道がわからなくなっている。早く〈細道を出て〉本道をつける段取りを〈付けよ〉。日々に心にいさんで〈本道を〉急込め。早く本道を付けたならば〈やがてそれが“つとめ”のできる往還の 道となる〉。本当にこの本道がついたなら、その末は〈往還を通って〉頼もしい陽気“づくめ”〈の道になるの〉だ。村方はなおもたすけを急いているので、早く思案〈してたすけ
の準備を〉してくれるよう。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.060
けふの日ハなにかめづらしはじめだし よろづいんねんみなついてくる

04.061
いんねんもをふくの人であるからに とこにへだてハあるとをもうな

04.062
このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり

04.063
いちれつのこともがかハいそれゆへに いろ/\心つくしきるなり

04.064
このこともなにもをしへてはや/\と 神の心のせきこみをみよ

04.065
だん/\とこどものしゆせまちかねる 神のをもわくこればかりなり

04.066
こどもさいはやくをもていだしたなら からをにほんのぢいにするなり

04.067
しんぢつにこどもの心しかとせよ 神の心ハせくばかりやで

04.068
にち/\に神のせきこみこのなやみ はやくたすけるもよふしてくれ

訳)「きょうの日は、本当に珍しい初まり出し〈をみよ〉。万事〈について〉“いんねん”〈によって〉皆ついて来る。“いんねん”も多くの人であるからといって、どこにも隔てはない。〈“いんねん”と言うと隔てがあるように思うかも知れぬが〉この世界〈や人間〉を初めた神であるから、世界一れつは皆わが子である。一れつの子供が可愛いが故に、いろいろ心を尽しきっている。この〈“いんねん”によって出て来た〉“こども”に、何も彼も〈たすけの守護を〉教えて、早く〈表へ出したい〉という神の心の急込みをみよ。だんだんと(順序を追って)この“こども”の出世(成人)を待ちかねる。神の思惑はこればかりである。〈この、たすけの守護を教えられた〉“こども”さえ早く表へ出したなら、“から”を“にほん”の地にするのである。真実に“こども”の心よ、しっかりせよ。神の心は急くばかりである。日々に、神の急込み〈の現われである〉この悩みを、〈よく思案して、心を定めて神にもたれ、〉早くたすける段取りをしてくれ。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著
 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.055
にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで

04.056
このさきハせかいぢううを一れつに たすけしゆごふをみなをしゑるで

04.057
だん/\とよろづたすけをみなをしへ からとにほんをわけるばかりや

04.058
にち/\にからとにほんをわけるみち 神のせきこみこれが一ぢよ

04.059
このみちをはやくわけたる事ならば あとのよろづハ神のまゝなり

訳)「〈この所は〉人間を初め出した屋敷である。その“いんねん”によって天降って来〈て、神はたすけの道を始め〉た。この先は世界中を、一れつ〈全部〉をたすけ〈るため〉の守護をみんな教える。だんだんと“よろづたすけ”をみな教えて〈置いて、それから〉“から”と“にほん”を“わける”ばかりである。日本に“から”と“にほん”を“わける”道(方法)〈すなわち布教伝道〉が神の急込みであり、これ一条(一筋)である。この道が早くわかったならば、そのあとは万事神のままである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.048
なにゝても神のゆう事しかときけ みなめゑめの心しだいや

04.049
しんぢつに心いさんでしやんして 神にもたれてよふきづとめを

04.050
このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや

04.051
こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく

04.052
しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ

04.053
しかときけよろつの事をみなをしへ どこにへだてわさらにないぞや

04.054
どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから"

訳)「なんでも神の言うことをよく聞け。みなめいめい(当事者)の心次第である。真実に心〈をすまして〉いさんで、思案して(心を定めて)、神にもたれて“よふきづとめ”〈の準備〉をせよ。この話は何のことかと思うな、肥一条(肥の“つとめ”)の話である。肥(肥の“つとめ”による守護)といっても、何が効くと思うな。心の“まこと”・“しんぢつ”が効くのである。真実の心を〈神が〉見定めが付いたなら、どんな守護もすると思え。しっかりと書いておけ。〈“つとめ”に限らず〉よろづの事を皆教える。それには隔ては少しもない。どんな所の人が〈この屋敷に〉出て来ても、皆“いんねん”の者であるから〈皆同じように教える〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.040
いまてハなみなの心とうちなるの 心かをふいちがいなれども

04.041
あすにちハなんでもたのみかけるでな 神のいぢよにつかねばならん

04.042
にち/\にみにさハりつくとくしんせ 心ちがいを神がしらする

04.043
めへ/\のみのうちよりもしやんして 心さだめて神にもたれよ

04.044
なにゝても神のをもわくふかくある そばなるものハそれをしらすに

04.045
けふまでハなによのみちもみへねども はやくみゑるでしやんさだめよ

04.046
このみちをはやくしらそとをもへども さとりがのふてこれがむつかし

04.047
たん/\とふでにしらしてあるけれど さとりないのが神のざんねん

訳)「今では、皆の心と“うち”なる者の心が〈神の心と〉大きな違いであるけれども、あすには〈きょうの心を忘れて〉なんでも神一条(神の話)につかねばならない。〈これをよく頼む。そのため神は“てびき”をするから〉日々に身の障りがついたら、心違いを神が知らせるので〈神の言うことを〉得心せよ。〈それには〉めいめい(当人)の身のうち(からだの病気)から〈心違いを〉思案して、心定めをして神にもたれよ。なんでも神の思惑は深く(遠くまで見透した上で)ある。“そば”なる者はそれを知らずにいる。きょうまでは〈この道について〉どんな話をしても、その道は見えなかったが、〈あすからは〉早く見える。思案〈して心を〉定めよ。この〈先の〉道を早く知らそうと思うけれど、悟りがないので、これが(これを説いて聞かすのが)難しい。だんだんと(順序を追って)筆に〈書いて〉知らしてあるけれど、悟れないのが神の“ざんねん”〈に思うところである〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.030
せかいぢうをふくの人であるけれど 神の心をしりたものなし

04.031
このたびハ神の心のしんぢつを なにかいさいをみなをしゑるで

04.032
なにゝても神一ちよをしりたなら からにまけそな事ハないぞや

04.033
このさきハからとにほんをすみやかに だん/\ハけるもよふばかりを

04.034
これさいかはやくわかりた事ならば 神のざんねんはれる事なり

04.035
しんぢつの神のざんねんはれたなら せかいの心みないさみでる

04.036
だん/\とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや

04.037
そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ

04.038
またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや

04.039
いまゝでハなにの事でもしれなんだ これからさきハみなをしゑるで

訳)「世界中〈から寄って来る者は〉多くの人であるが、神の心を知っている者はいない。〈それも無理ではない。しかし〉このたびは神は心の中にある真実を、何でも一切みな教える〈故、よく聞き分けよ〉。何でも神一条(神の話)を知ったなら、〈布教伝道において〉“から”に負けるようなことはない。この先は“から”と“にほん”をすみやかに、だんだん“わける”もよう(段取り)をする。これさえ早く分かったら神の“ざんねん”も晴れる。神の“ざんねん”が本当にみな晴れたなら、せかい〈の人々〉の心もみないさみ出る。だんだんと(順序を追って)、世界中を真実にたすけるもよう(準備・段取り)ばかりするのである。〈そうしてたすけをして行けば〉そののち(将来)は、病まず・死なず・弱らずに〈くらし〉、心次第ではいつまでも〈この世に生きていてよい。また先は(将来には)、〈これはまだ余程〉年限が経ったなら〈のことであるが〉、年が寄る(年寄りになる)ということが全くなくなるのである。〈このような珍しい道について〉今までは何でも知らな
かったことを、これから先は皆教える。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)


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