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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる事情、身の内の処心得んという。どういうものでなる。事情しいかりどういう理でなる。何がいかん何が間違う。これは言えん理を聞き分け。幾重思やんすれど、事情分からん。事情諭す。余の儀外の儀は諭さん。同し人間事情かしもの余程一つ事情。成程尽すに身の内ならん、身の内判然ならんから尋ねる。及ぶようにならん。事情諭す。ほんに言葉を聞いて治まる。それ/\先々成程と言えば身の治まる。めん/\どういうものであろ、この事情難しかろ。言葉の理を聞いて治まる事情いんねんの理。知らず/\理が、いんねん/\理が世上に現われてある。めん/\成程いんねん成程世上にどんなもあるであろ。不足々々でいんねんもある。そこえ/\のいんねんもある。掛かり/\いんねんもある。同じ人間、前々事情分からん。一つの心に改め。前生いんねんのさんげ、これをよう聞き取ってくれるよう。』(M24.7.6)
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『………諭しの処、身の内処/\にて、分からん処が出来る。さあいかなる。遠くだん/\聞くとも遠く聞く。分かり難ない。尽せども/\分からん。随分分からんではない。諭する処時談言葉でも、身の内話かりものあって一条と心が分からいでは、同じ事やで。身の内痛む、悩む処、身の内不足日々思う事一つ、これだけ、これだけすれば、こうなる。身の内改むる事出来難ない。聞きよう諭しようで、分からんでない。早く心がある。痛み所が心に分からん。よう話するのでない。何も難し話やないで。心があって悩む。かりもの事情よう聞け。どうしてくれこうしてくれとは言わん。得心身の内二つある。一つ二つ分かり難ないから頂く事出来ぬ。心で/\話聞き、成程の一事改正の心を供えて、身の内自由自在のものである。』(M20.5.17)
『さあ/\尋ねる事情/\、身の処にて理がありて尋ねる。尋ねるから、理は諭しよう。諭した理は聞き分け。内々それ/\運ぶ処受け取る。一つには前々掛かり一つの理、成程と言うた日がある。長らえて楽しみの理、所にては順々理が運ぶ。内々の処に理が無ければ、何にも思う事無いと言うて、思うは理や。皆んな前々諭してある。身の処に不足なりたかいなあと言う、日々思う事情、どうであろうどうであろうとさんげはすれど、速やかならん。人間世界一つ、人間辺所近くは無い。めんめん理がありて、これを見よ。これを見てたんのう尽す中に、不足ありてたんのうが出けまい。なれど、世上の理を見てたんのう。たんのうの理が誠。誠の理が受け取る。これだけ運んで居るのになあという理、これどうしても退かん。真実運んで通するまで。さあ/\案じてはならんで。案じずして心治め。これだけ聞き分け置かねばならんで。』(M24.5.14)
『さあ/\身に一つの事情以て尋ねる。尋ねる処いかなる事情あろ思う処、だん/\の理も聞き、一つの心に定めた中という。身の処心得ん、日々の処思うも一寸の理である。十分理を諭し置く。内々だん/\の心も日々尽し方事情あって、障りや障りや。日々内々事情、事情よう聞き取らにゃ分かり難ない。ほのかの理これまでの事情治まり来たる処、一時どんな心も付くまい。だん/\心を運ぶたんのうと。内内身に不足なってたんのうは付くまい。多くの中を見てたんのうは理のさんげ。いんねん/\又いんねん分かり難ない。成程の理が治まれば、道々の処案ぜる事はあろうまい。よく聞き取ってくれ。』(M24.5.10)
『さあ/\尋ねる事情、身上に不足なるは、どういうものと思う処は、よう聞き分けにゃならん。一名々々に皆違うでな。この理を諭し置こう。めん/\にも人に諭して居るやろう。聞いて居るやろう。めん/\も身上に不足なる処は、悟らにゃならん。内々の処よう思やんせよ。蒔いたる種は一度は皆生えるものである。前生いんねんこの理を聞き分けにゃならん。前生の理を見て、身上あって楽しみ。身上無うては楽しみ無いである。十分の処は、これからと思う処は、楽しみと思うてするなら、この理を追々聞き分けて通らにゃならん。一列は世上見てたんのう/\の心という。この理を諭し置こう。』(M23)
『さあ/\事情はいんねん尋ねる処、いんねん事情、いんねんの事情は、とんと分からせん。心で諭して身上の事情、一寸は大層。早く聞き分け。早く事情先ず/\暫く踏ん張らねばならん。いんねんの事情、どれだけいんねんと言うても、たゞいんねんでは分からん。いんねんの理を諭して、身に不足なるは、よく聞き分け。一つの理を聞き分け。いんねんの理を鮮やかと、この理を諭してやってくれ。』(M23.1.29)
『さあ/\身上一条尋ねる/\。身上理を尋ねるから一つの理もさしづしよ。どういうさしづ。難し事は一つも言わん。成程の理を諭そ。身上一つの理速やかなれば一つ、どれだけ理も一つの理。長らえて中一つの理、それ/\どういう事情であたぞ、日々思う/\。日々にあろ。人間という、だん/\話前々伝え置いたる処、身はかりもの心一つが我がの理。この事情分かれば、何かの事も分かる。めん/\一つ世上随分一つ皆一つ取り混ぜた。どういう第一思やん。一つ世界十分通る道という。十分蒔いた種、十分受け取る。幾重生まれ更わり/\、何度生まれ更わりの理、世上の理は生まれ更わりの理がある。幾何年何遍じゃ、めん/\一つの理が心に治め。生まれ更わり心治め。身上不足無きもの。難し事は一つも言わん。世界の理を同し一つの理。世界の理を心を治めれば、何にも案じる事は要らん。』(M22.9.16)
『さあ/\身上一条尋ねるから諭すのには、身上一条の理を聞き分けるなら、何かの事も分かるであろう。人にも諭しても居るやろう。聞いても居るやろ。さあ/\分からんやあろうまい。神の子供。難儀さそう不自由さそうという親はあろうまい。身の内は神のかしもの・かりものの理を諭するには、心は我がもの。心通り神が働く。この理をよく聞き分け。前生いんねん分かろうまい。分からんから尋ねる/\。事情世上には皆々どんなものも映してある。この理を聞き分け。人間は生まれ更わり出更わり理聞き分けよ。さあ/\身上は余程大層である。さあ/\どうせにゃいかんこうせにゃいかんとは神は言わん。内々家内もこの理を聞き分けよ。身上無うては楽しみあろうまい。見んならんも前生いんねん。踏ん張らにゃなろうまい。救からにゃなろうまい。人を救けるという心、救けにゃならんが天の理、救かるも天の理。これだけ尽すのに何でと思う心出さずして、内々に誠の心が睦まじいという。この理を諭し置く。身上今一時どうとも無い。身上案じると案じの理が回る。さあさあ
内々睦まじいが第一という。』(M24.7.7)
『さあ/\しいかりと聞かねば分からんで。身の内の障りは、尋ねる処、今日はまあ、何でこのように急がしいやろうと思う日もあり、又、今日は何でやろうという日もある。又、聞き難くい事を聞かねばならん事もあり、又不自由な日もあり、又有難い日もあり、どのような道も皆々五十年の間の道を手本にしてくれねばならんで。今の難儀は末の楽しみやで。その心で、心を定めてくれねばならん。』(M20.5[陰暦])
『分教会順序これまでそも/\゛であったやろ。何か事情心に掛かったやろ。一時事情前一つ理はもう無くなった理、又改まりた理は、道順序の理。道の親、理の親、これ心にちんと治めてくれ。』(M32.8.28)


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