忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[256] [257] [258] [259] [260] [261] [262] [263] [264] [265] [266]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

〔おしい(惜しい)〕
身の働きを惜しみ、少しでも楽をしようという心。
人のために尽くすことを惜しみ、自分さえよければという心。当然だすべきものを出さず、人に貸すのを惜しむ心がほこりとなります。

〔ほしい(欲しい)〕
値を出さず欲しがる心。人のものを見て欲しがり、あるが上にもさらに手に入れたいと思う心。自分が尽くしもせず、ああして欲しいこうして欲しいと他人に求める心がほこりとなります。

〔にくい(憎い)〕
自分の気にいらない、と言って人を憎む心。人が意見や忠告してくれるのを悪くとって、その人を憎む心。人があやまちを犯したと陰口を言ってそしり笑う心がほこりとなります。

〔かわい(可愛い)〕
我が身だけ可愛い心。我が子だけ可愛い心。特別の者だけ、特に可愛いがる偏愛心がほこりとなります。

〔うらみ(恨み)〕
自分の思惑を邪魔されたと言って恨む心。自分の非を反省せず人のせいにして恨む心がほこりとなります。

〔はらだち(腹立ち)〕
人が自分の気に入らぬことを言ったと腹を立てる。間違ったことをしたと言って腹を立てる。気短かな心から、少しのことにも腹を立てる心がほこりとなります。

〔よく(欲)〕
人のものを盗み、人の物を無理にでもとりこみたい心。人の目をごまかして少しでも多く儲けたいと思う心がほこりになります。

〔こうまん(高慢)〕
自分に非や欠点がないと思い、人を見下げる心。知らないことも知った顔をしていたい心。人の立場や気持ちを無視し、他人の意見を聞かない強情な心。人にあやまったり、負けたりするのが何よりきらいな心がほこりとなります。


この八つのほこりというものは聞きよう、取りようによって間違うものでありますから、よく聞き分けねばなりません。

ほこりは早めに掃除さえすれば簡単にきれいになりますが、放っておけばいつの間にか積もり重なって、ついには掃いても拭いてもなかなか取り除きにくくなります。

人のためを思う低い、やさしい、すなおな心、言葉、行ないでほこりの掃除をしましょう。
PR
《くにとこたちのみこと》
人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。

《をもたりのみこと》
人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。

《くにさづちのみこと》
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。

《月よみのみこと》
人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。

《くもよみのみこと》
人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。

《かしこねのみこと》
人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理。

《たいしょく天のみこと》出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。

《をふとのべのみこと》
出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。

《いざなぎのみこと》
男雛型・種の理。

《いざなみのみこと》
女雛型・苗代の理。
『よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない』

〔世界万国すべてを見晴らしてみても、親神の心の内を理解しているものは誰一人としていないであろう〕

『そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな』

〔それもそのはずで、今までに一度も本真実を説いて聞かしたことがないのであるから、誰も知らないのは無理ではないであろう〕

『このたびはかみがおもてへあらわれて なにかいさいをとききかす』

〔この度(天保九年十月二十六日)は、親神が直々にこの世に顕れて教祖(おやさま)の口を通して、すべての真実(天の理)を詳しく説いて聞かせることにしよう〕

『このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ』

〔このところ(天理の親里)を大和のぢばの神の館というているが、その元(元の理)というのは誰も知らないであろう〕

『このもとをくわしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる』

〔この元の話(元の理)を詳しく聞いたことならば、いかなるものでも恋しくてたまらなくなるだろう〕

『ききたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを』

〔その元の真実の話を聞きたければ、このおぢばにたずねてくるがよい。そうしたならば、すべての元の真実の話(天の理)を詳しく説いてきかしてやろう〕

『かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり』

〔親神が表(この世界)に実際に現れて様々な真実を説いて聞かせたことならば、世界のすべての人々は心が喜び勇んでくるであろう〕

『一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこころもいさめかけ』

〔すべての人々を早く救け上げることを急いでいるから、世界中の人々もその親神の心を受け取って感謝と喜びの心になって勇んで通ってくれるようになってもらいたい〕

『なむてんりおうのみこと よし よし』
 やがて、まる三日目の夜明けが来た。火鉢の前で、お願い中端座しつづけていたりんの横にいたとみゑが、戸の隙間から差して来る光を見て、思わず、「あ、お母さん、夜が明けました。」 と、言った。
 その声に、りんが、表玄関の方を見ると、戸の隙間から、一条の光がもれている。夢かと思いながら、つと立って玄関まで走り、雨戸をくると、外は、昔と変わらぬ朝の光を受けて輝いていた。不思議な全快の御守護を頂いたのである。
 りんは、早速、おぢばへお礼詣りをした。取次の仲田儀三郎を通してお礼を申し上げると、お言葉があった。
 「さあ/\一夜の間に目が潰れたのやな。さあ/\いんねん、いんねん。神が引き寄せたのやで。よう来た、よう来た。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう、聞かしてやってくれまするよう。」と、仰せ下された。その晩は泊めて頂いて、翌日は、仲田から教の理を聞かせてもらい、朝夕のお勤めの手振りを習いなどしていると、又、教祖からお言葉があった。
 「さあ/\いんねんの魂、神が用に使おうと思召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるから、楽しんで通るよう。用に使わねばならんという道具は、痛めてでも引き寄せる。悩めてでも引き寄せねばならんのであるから、する事なす事違う。違うはずや。あったから、どうしてもようならん。ようならんはずや。違う事しているもの。ようならなかったなあ。さあ/\いんねん、いんねん。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう。目の見えんのは、神様が目の向こうへ手を出してござるようなものにて、さあ、向こうは見えんと言うている。さあ、手をのけたら、直ぐ見える。見えるであろう。さあ/\勇め、勇め。難儀しようと言うても、難儀するのやない程に。めんめんの心次第やで。」と、仰せ下された。
 その日もまた泊めて頂き、その翌朝、河内へもどらせて頂こうと、仲田を通して申し上げてもらうと、教祖は、「遠い所から、ほのか理を聞いて、山坂越えて谷越えて来たのやなあ。さあ/\その定めた心を受け取るで。楽しめ、楽しめ。さあ/\着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあ/\楽しめ、楽しめ、楽しめ。」と、お言葉を下された。りんは、ものも言えず、ただ感激の涙にくれた。時に、増井りん、三十二才であった。
(註 仲田儀三郎、前名は佐右衞門。明治六年頃、亮・助・衞門廃止の
時に、儀三郎と改名した。)
『定めた心』

 明治七年十二月四日(陰暦十月二十六日)朝、増井りんは、起き上がろうとすると、不思議や両眼が腫れ上がって、非常な痛みを感じた。日に日に悪化し、医者に診てもらうと、ソコヒとのことである。そこで、驚いて、医薬の手を尽したが、とうとう失明してしまった。夫になくなられてから二年後のことである。
 こうして、一家の者が非歎の涙にくれている時、年末年始の頃、(陰
暦十一月下旬)当時十二才の長男幾太郎が、竜田へ行って、道連れになった人から、「大和庄屋敷の天竜さんは、何んでもよく救けて下さる。三日三夜の祈祷で救かる。」 という話を聞いてもどった。それで早速、親
子が、大和の方を向いて、三日三夜お願いしたが、一向に効能はあらわれない。そこで、男衆の為八を庄屋敷へ代参させることになった。
朝暗いうちに大県を出発して、昼前にお屋敷へ着いた為八は、赤衣を召された教祖を拝み、取次の方々から教の理を承わり、その上、角目角目を書いてもらって、もどって来た。
 これを幾太郎が読み、りんが聞き、「こうして、教の理を聞かせて頂
いた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます。我が家のいんねん果たしのためには、暑さ寒さをいとわず、二本の杖にすがってでも、たすけ一条のため通らせて頂きます。今後、親子三人は、たとい火の中水の中でも、道ならば喜んで通らせて頂きます。」 と、家族一同、堅い心定めをした。
 りんは言うに及ばず、幾太郎と八才のとみゑも水行して、一家揃うて三日三夜のお願いに取りかかった。おぢばの方を向いて、『なむてんりわうのみこと』と、繰り返し繰り返して、お願いしたのである。

つづく
お道では、親神様が人間をお造りになられた目的は、『人という重宝なものを造り《陽気ぐらし》をさせて神も共に楽しみたい!!』という壮大な目標があるのだというふうにお伺いさせていただいています。
また、やがて人間が成人して心が澄み切ると『月日(神)人間同じことやで』と人間は元々みんな神の子供なので、心のほこりがすべて払われて清水のような心に戻ることができれば、神も人間もなんら違うことはないと魂の成長を長~~~い目で見守り続けて下さっているのです。

占星術の世界では、現在は「水瓶座時代」に入ってきていると言われていますが、いわゆる「精神文明時代」とも言われ、巷には“心”の問題(スピリチュアル指向)を扱った本があふれているように思います。
しかし、今回の小林正観さんの本は、他のどのような本よりも奥が深く、これほど宇宙の真理を説かれている本はないように僕は思います。

僕は、お道(天理教)のみ教えとほんとうによく似ているように思いましたので、今回の集中的に小林正観さんのことを書かせていただきました。

ひろ
『般若心経』の最後に、『菩提娑婆訶(ぼーでぃそわか)』とありますが、これは、『悟り(菩提)が成就した(娑婆訶)』ということのようです。

そこで、小林正観さんは『そ・わ・か』(そ=掃除、わ=笑い、か=感謝)の法則という本を書かれました。
これは、ひじょうに不思議な感じで、小林正観さんは、実際に『悟りを成就された方』なのではないかというふうに僕は感じています。

そしてまた、『う・た・し』(う=嬉しい、た=楽しい、し=幸せ)会というものを作られていますが、その他にも、「き・く・あ」(き=競わない、く=比べない、あ=争わない)、「い・ど・お」(い=威張らない、ど=怒鳴らない、お=怒らない)、「う・に・の」(う=恨まない、に=憎まない、の=呪わない)などという生活上における標語のようなものを作られています。

以前から書かせていただいていますが、なんだかほんとうに不思議に感じがするのですが、小林正観さんが書いておられることは、お道のみ教えである『陽気ぐらし』と『たんのう(堪能=十分満足する)』、そして「八つのほこり」の心をつかわないということにすごく似ているように思います。

ひろ
何があっても「五戒」(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言わず、口から出る言葉がすべて優しく、温かく、楽しく、周囲の人を元気にするものであるという人になれば、地球や宇宙を味方につけることができます。
「地球や宇宙を味方につける」とは、自分と地球や宇宙のリズムが合っている人という意味です。………………
地球や宇宙のリズムと合っている人の共通項は、常に口から出てくる言葉がうれしい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ツイてる、などの肯定的な言葉であること。反対に、地球や宇宙を敵にまわしている人の共通項は、つらい、悲しい、つまらない、いやだ、きらいだ、つかれた、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句などの否定的な言葉を多く言っているということです。
そして、外に出てなにげなく天気への不満を言っている間は、否定的な評価評論をする癖がついたまま。どんなに一生懸命生きているつもりでも、宇宙は味方になってくれません。(「楽しい人生を生きる宇宙法則」小林正観著 講談社刊)
お釈迦様のお言葉に「すべてが、あなたにちょうどいい」というのがあるそうです。

今のあなたに、今の夫がちょうどいい。
今のあなたに、今の妻がちょうどいい。
今のあなたに、今の親がちょうどいい。
今のあなたに、今の子供がちょうどいい。
今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに、今の友人がちょうどいい。
今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日もあなたにちょうどいい。
すべてが、あなたにちょうどいい。


このお言葉は、お道の先生方の本にもよく引用されているお言葉だと思いますが、少し僕の現在の悟り方を書かせていただきたいと思います。

今生における縁のある、夫、妻、親、子供、兄弟、友人、仕事、死期などは、すべてその人に合った因縁の人や仕事が組み合わされている。
これを、お道では「因縁寄せて守護をする」というふうに言われています。
また、“節”をいただく時旬なども、すべて前生前々生の因縁に応じて定まっているように思います。

ひろ
『陽気ぐらし』とは、《日々をいかに楽しく生きるか!?》ということであり、成ってくることをすべて“受け入れ”、すべてに《ありがとう(ございます)!!》と『感謝と喜び』の心をもつことなのであると思います。
それが、即ち《“たんのう”(堪能=十分満足する)》させていただくことであると思います。

また、『成ってくる理が天の理』と言われるように、すべての現象には意義があり、その原因は前生前々生にあるわけで、人間が頭で考えたってわかるわけがないのだから、成ってくることを素直にまるごと受け入れて、あれこれ悩んだり考えたりしないで、神様に凭れ切って《陽気》に《感謝と喜び》の生活をさせていただくことが『陽気ぐらし』というのだと悟らせていただきました。

ひろ


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア