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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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昨日は、全教一斉ひのきしんデーに参加させていただきました。ひじょうによいお天気のご守護をいただきました。

なんだかこの4月29日という日は、ひじょうに不思議な有り難い日です。
昨年は、真柱様にお会いし一緒に写真を撮っていただきましたが、今年は、1ヶ月近く反発していて縁が切れかけていた理の子から連絡があり、ひのきしんにも来てくれて“さんげ”をしてくれました。
ほんとうにほんとうに有り難い(奇跡)の日でした!!

ひろ
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人間は神(宇宙の大生命)の子で、神様によって造られ、地球上において魂の成人を目指し生まれ更わりを続けさせていただいている生命体なのだと思います。

また、人間の身体は神様からお借りしているもので、神様の身体を大宇宙だとすれば、人間の身体そのものが小宇宙であるとも言えると思います。

そして、無我の境地というのは、自分自身の欲を一切捨てきった心であると思います。
またその上に、我が身はどうなってもかまわないと自分自身を捨てきって、苦しみ悩んでいる人を救けることに喜びを感得できる心こそが、天(神、宇宙)に認めていただける《誠真実》の心であると悟らせていただいています。

そして、たとえどんな苦しい状態におかれたとしても、どんな病気になったとしても、どんな事故にあったとしても、決して不足をせずに十分に満足させていただき感謝させていただいて通らせていただくことが、真の“たんのう”なのだということをはっきりと悟らせていただきました。

ひろ
第八章『道すがら』 つづき

 この篤い親心に、そのまま添いたいと念ずるにつけ、人の難儀を見ては、じつとしておられず、人の苦しみをながめては、看過すことが出来なくなる。自分に出来ることなら、何事でも喜んで行い、なんでも、たすかつて貰いたいとの言行となる。そして、多くの人々に導きの手を与えるにをいがけとなり、人だすけとなる。それは、己の利害に偏らず、一れつ兄弟姉妹の真実に目覚め、互立て合い扶け合いの念から、人の苦しみを我が苦しみとなし、我が身を忘れて、人に尽すひたぶるの行為となつてあらわれる。

  このさきハせかいぢううハ一れつに
  よろづたがいにたすけするなら        一二 93
  月日にもその心をばうけとりて
  どんなたすけもするとをもゑよ        一二 94

 かくて、教祖のひながたにならい、たすけにはげむ。口と心と行とは常に一致して、うまずたゆまず、理をみつめて進む。その日々は、人の眼から見れば、一寸には弱いもののようにも思われる。しかし、これこそ、親神の心に通う誠真実であるから、真にそのまま受け取つて頂くことが出来るので、ながい眼で見れば、これほど堅く強いものはない。
 誠程強いものはない、誠は天の理である。誠であれば、それ世界成程。

 誠真実は、親神の思召に添い、天の理にかなう心であるから、親神は、この誠真実をすぐと受け取つて、いかなるたすけもひき受けられる。

  しんちつに心にまことあるならば
  どんなたすけもちがう事なし         一三 71

 誠一つの理は天の理、天の理なれば直ぐと受け取る、直ぐと返えすが一つの理。 (明治二三・四・一七)

 自分の心に誠真実の理が治れば、心ない人の口説に煩わされることなく、常に変らぬ喜びと力に溢れて、明るく陽気に進むことが出来る。そこに正しく、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分むつまじいという一つの理が治り、他をも自ら化し、一波は万波を呼んで、更に多くの人々の心の躍動を呼び起す。

  だん/\になにかの事もみへてくる
  いかなるみちもみなたのしめよ         四 22

第八章 おわり
第八章『道すがら』 つづき

  ふうふそろうてひのきしん
  これがだいゝちものだねや          一一下り目 2

 親神は、「ふうふそろうてひのきしん」と教えられる。夫を化し、妻を導いて、夫婦共々に心を揃え、日々ひのきしんに勇むところ、一入そのむつまじさが溢れ出て、一家に春の明るさと和ぎが漂う。これを、「だいゝちものだねや」と仰せられる。
 一家の陽気は隣人に及び、多くの人々は、われもわれもと相競うて、ひのきしんにはげみ、世界には、一手一つの陽気が漲つてくる。かくて、親神の望まれる陽気ぐらしの世が現れる。

  いつ/\までもつちもちや
  まだあるならバわしもゆこ          一一下り目 5

 たんのうの心が治り、ひのきしんに身が勇んで、欲を忘れる時、ここに、親神の思召にかなう誠真実があらわれる。その日々の姿には、何の裏表もなく、清らかさと明るさが溢れてくる。そして、親神の思召をそのままに読みとり、さながらに身に行えるようになる。
 かかる誠真実に徹するのが、心の成人を遂げた所以であつて、親神は、それを待ちわびておられる。

  いまゝでハせかいぢううハ一れつに
  めゑ/\しやんをしてわいれども       一二 89
  なさけないとのよにしやんしたとても
  人をたすける心ないので           一二 90
  これからハ月日たのみや一れつわ
  心しいかりいれかゑてくれ          一二 91
  この心どふゆう事であるならば
  せかいたすける一ちよばかりを        一二 92

つづく
第八章『道すがら』つづき

 日々常々、何事につけ、親神の恵を切に身に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる。

  なんでもこれからひとすぢに
  かみにもたれてゆきまする           三下り目 7
  やむほどつらいことハない
  わしもこれからひのきしん           三下り目 8

 身上の患いをたすけて頂いた時、親神の守護が切実に身にしみる。病んだ日のことを思いかえし、健かな今日の日を思えば、心は言い知れぬ喜びに躍る。身上壮健に働ける幸福を、しみじみと悟れば、ひたすら親神にもたれて、思召のままにひのきしんに勇み立つ。

  よくをわすれてひのきしん
  これがだいゝちこえとなる          一一下り目 4

 ひのきしんに勇む心には、欲はない。この求めるところなく、ただ黙黙と骨身惜しまず尽す行為こそ、やがて、銘々の生活に美わしい実を結ぶ肥となる。

  みれバせかいがだん/\と
  もつこになうてひのきしん          一一下り目 3
  なにかめづらしつちもちや
  これがきしんとなるならバ          一一下り目 7

 少しでも普請の役に立ちたいと、もつこを担うて、日々、土持ひのきしんをする。心は益々明るく勇み立つて、それが何よりのひのきしんになる。これは誰にも出来るが、実地に身に行うて、初めて、その言い知れぬ味がわかる。
 ひのきしんは、信仰に燃える喜びの現れで、その姿は、千種万態である。必ずしも、土持だけに限らない。欲を忘れて、信仰のままに、喜び勇んで事に当るならば、それは悉くひのきしんである。
 ひのきしんは、一時の行為ではなく、日常の絶えざる喜びの行為である。しかも、その喜びは、自分一人に止るのではなく、他の人々をも感化し、心あるものは、次々と相携えて、その喜びを共にするようになる。

つづく
第八章『道すがら』
 親神のてびきによつて信仰に入り、教の理を聴きわけて、《かしものの理》もよく胸に治り、心の“ほこり”も次第にぬぐわれ、“いんねん”の悟りもついたなら、ものの観方が変ってくる。
 見えるまま、聞えるままの世界に変りはなくとも、心に映る世界が変り、今まで苦しみの世と思われたのが、ひとえに、楽しみの世と悟られて来る。己が心が明るければ、世上も明るいのであつて、まことに、「こゝろすみきれごくらくや」と教えられている所以である。
 しかるに、人の心は常に変りやすい。朝の心は必ずしも夕の心ではない。とかく、身近に起る事柄に心を動かされて、朝に明るい心も、夕には暗くなりがちである。一度は、教に感激して信仰に志しても、やがて喜び勇めなくなることもあれば、折角、たすけて頂いても、又も、身上のさわりや事情のもつれで、心が動揺する時もある。この中にあつて、常に己が心を省みて、いかなることも親神の思わくと悟り、心を倒さずに、喜び勇んで明るく生活するのが、道の子の歩みである。この心の治め方を《たんのう》と教えられる。
 親神の胸に抱かれ、ひたむきに信仰に進むものは、我が身にふりかかるいかなる悩みや苦しみにも、溺れてしまうことなく、むしろ素直に成って来る理を見つめて通るから、悩みや苦しみも、かえって喜びに転じてくる。かくて、真に《たんのう》の心が治れば、前生の“いんねん”は納消される。これを、「たんのうは前生いんねんのさんげ」と諭される。
 《たんのう》は、単なるあきらめでもなければ、又、辛抱でもない。日々、いかなる事が起ろうとも、その中に親心を悟って、益々心をひきしめつつ喜び勇むことである。かくて、身上のさわりも事情のもつれも、己が心の糧となり、これが“節”となつて、信仰は一段と進む。これを、「節から芽が出る」と諭される。

つづく
魂の成人への導きの手段として『おさづけの理』をお与え下さり、人様をおたすけさせていただくことにより、自分自身の前生の“いんねん”が切り変わってくる。
その“いんねん”を見せていただいて、しっかりといんねんの自覚”をさせていただくことが大事な誠の心ではないかと思います。

また、おたすけさせていただきたい相手をいくら変えようとしてもだめ!であり、その相手の姿をみて、自分自身がその心づかいを“さんげ”し、“たんのう”し喜ばせていただき『誠真実』を尽くすことが大切なことだと思います。(相手のことは自然と神様が変えて下さる!!)

※『誠真実』=低い、やさしい、素直な心
『さあ/\だん/\の席返す/\の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以って一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。生涯の理を諭すには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、これは言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。ただめん/\精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治ま
るという。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶという、尽すという。運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め。又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛型。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。』
七下り目

一ツ ひとことはなしハ
   ひのきしん
   にほひばかりを
   かけておく

二ツ ふかいこゝろが
   あるなれバ
   たれもとめるで
   ないほどに

三ツ みなせかいの
   こゝろにハ
   でんぢのいらぬ
   ものハない

四ツ よきぢがあらバ
   一れつに
   たれもほしいで
   あらうがな

五ツ いづれのかたも
   おなしこと
   わしもあのぢを
   もとめたい

六ツ むりにどうせと
   いはんでな
   そこはめい/\の
   むねしだい

七ツ なんでもでんぢが
   ほしいから
   あたへハなにほど
   いるとても

八ツ やしきハかみの
   でんぢやで
   まいたるたねハ
   みなはへる

九ツ こゝハこのよの
   でんぢなら
   わしもしつかり
   たねをまこ

十ド このたびいちれつに
   ようこそたねを
   まきにきた
   たねをまいたる
   そのかたハ
   こえをおかずに
   つくりとり

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


八下り目

一ツ ひろいせかいや
   くになかに
   いしもたちきも
   ないかいな

二ツ ふしぎなふしんを
   するなれど
   たれにたのみ八
   かけんでな

三ツ みなだん/\と
   せかいから
   よりきたことなら
   でけてくる

四ツ よくのこゝろを
   うちわすれ
   とくとこゝろを
   さだめかけ

五ツ いつまでみあわせ
   ゐたるとも
   うちからするのや
   ないほどに

六ツ むしやうやたらに
   せきこむな
   むねのうちより
   しあんせよ

七ツ なにかこゝろが
   すんだなら
   はやくふしんに
   とりかゝれ

八ツ やまのなかへと
   いりこんで
   いしもたちきも
   みておいた

九ツ このききらうか
   あのいしと
   おもへどかみの
   むねしだい

十ド このたびいちれつに
   すみきりましたが
   むねのうち

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


九下り目

一ツ ひろいせかいを
   うちまわり
   一せん二せんで
   たすけゆく

二ツ ふじゆうなきやうに
   してやらう
   かみのこゝろに
   もたれつけ

三ツ みれバせかいの
   こゝろに八
   よくがまじりて
   あるほどに

四ツ よくがあるなら
   やめてくれ
   かみのうけとり
   でけんから

五ツ いづれのかたも
   おなじこと
   しあんさだめて
   ついてこい

六ツ むりにでやうと
   いふでない
   こゝろさだめの
   つくまで八

七ツ なか/\このたび
   いちれつに
   しつかりしあんを
   せにやならん

八ツ やまのなかでも
   あちこちと
   てんりわうの
   つとめする

九ツ こゝでつとめを
   してゐれど
   むねのわかりた
   もの八ない

とてもかみなをよびだせば
   はやくこもとへ
   たづねでよ

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


十下り目

一ツ ひとのこゝろと
   いふもの八
   ちょとにわからん
   ものなるぞ

二ツ ふしぎなたすけを
   していれど
   あらはれでるのが
   いまはじめ

三ツ みづのなかなる
   このどろう
   はやくいだして
   もらひたい

四ツ よくにきりない
   どろみづや
   こゝろすみきれ
   ごくらくや

五ツ いつ/\までも
   このこと八
   はなしのたねに
   なるほどに

六ツ むごいことばを
   だしたるも
   はやくたすけを
   いそぐから

七ツ なんぎするのも
   こゝろから
   わがみうらみで
   あるほどに

八ツ やまひはつらい
   ものなれど
   もとをしりたる
   もの八ない

九ツ このたびまでハ
   いちれつに
   やまひのもと八
   しれなんだ

十ド このたびあらはれた
   やまひのもと八
   こゝろから

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


十一下り目

一ツ ひのもと
   しよやしきの
   かみのやかたの
   ぢばさだめ

二ツ ふうふそろうて
   ひのきしん
   これがだいゝち
   ものだねや

三ツ みれバせかいが
   だん/\と
   もつこになうて
   ひのきしん

四ツ よくをわすれて
   ひのきしん
   これがだいゝち
   こえとなる

五ツ いつ/\までも
   つちもちや
   まだあるならバ
   わしもゆこ

六ツ むりにとめるや
   ないほどに
   こゝろあるなら
   たれなりと

七ツ なにかめづらし
   つちもちや
   これがきしんと
   なるならバ

八ツ やしきのつちを
   ほりとりて
   ところかへる
   ばかりやで

九ツ このたびまでは
   いちれつに
   むねがわからん
   ざんねんな

十ド ことし八こえおかず
   じふぶんものを
   つくりとり
   やれたのもしや
   ありがたや

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


十二下り目

一ツ いちにだいくの
   うかゞひに
   なにかのことも
   まかせおく

二ツ ふしぎなふしんを
   するならバ
   うかゞひたてゝ
   いひつけよ

三ツ みなせかいから
   だん/\と
   きたるだいくに
   にほいかけ

四ツ よきとうりやうか
   あるならバ
   はやくこもとへ
   よせておけ

五ツ いづれとうりやう
   よにんいる
   はやくうかゞい
   たてゝみよ

六ツ むりにこいと八
   いはんでな
   いづれだん/\
   つきくるで

七ツ なにかめづらし
   このふしん
   しかけたことなら
   きり八ない

八ツ やまのなかへと
   ゆくならバ
   あらきとうりやう
   つれてゆけ

九ツ これ八こざいく
   とうりやうや
   たてまへとうりやう
   これかんな

十ド このたび
   いちれつに
   だいくのにんも
   そろいきた

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと
一下り目

一ツ 正月こゑのさづけは
   やれめづらしい

二ニ につこりさづけ
   もろたら
   やれたのもしや

三ニ さんざいこゝろを
   さだめ

四ツ よのなか

五ツ りをふく

六ツ むしやうにでけ
   まわす

七ツ なにかにつくり
   とるなら

八ツ やまとハほうねんや

九ツ こゝまでついてこい

十ド とりめがさだまりた

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


二下り目

とん/\とんと正月をどりはじめハ やれおもしろい

二ツ ふしぎなふしん
   かゝれバ
   やれにぎはしや

三ツ みにつく

四ツ よなほり

五ツ いづれもつきくる
   ならば

六ツ むほんのねえを
   きらふ

七ツ なんじふをすくひ
   あぐれバ

八ツ やまひのねをきらふ

九ツ こゝろをさだめ
   ゐやうなら

十デ ところのをさまりや

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


三下り目

一ツ ひのもとしよやし
   きの
   つとめのばしよハ
   よのもとや

二ツ ふしぎなつとめ
   ばしよハ
   たれにたのみは
   かけねども

三ツ みなせかいがより
   あうて
   でけたちきたるが
   これふしぎ

四ツ よう/\こゝまで
   ついてきた
   じつのたすけハ
   これからや

五ツ いつもわらはれ
   そしられて
   めづらしたすけを
   するほどに

六ツ むりなねがひは
   してくれな
   ひとすぢごゝろに
   なりてこい

七ツ なんでもこれから
   ひとすぢに
   かみにもたれて
   ゆきまする

八ツ やむほどつらい
   ことハない
   わしもこれから
   ひのきしん

九ツ こゝまでしんじん
   したけれど
   もとのかみとハ
   しらなんだ

十ド このたびあらはれた
   じつのかみには
   さうゐない

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


四下り目

一ツ ひとがなにごと
   いはうとも
   かみがみている
   きをしずめ

二ツ ふたりのこゝろを
   をさめいよ
   なにかのことをも
   あらはれる

三ツ みなみてゐよ
   そばなもの
   かみのすること
   なすことを

四ツ よるひるどんちやん
   つとめする
   そばもやかまし
   うたてかろ

五ツ いつもたすけが
   せくからに
   はやくやうきに
   なりてこい

六ツ むらかたはやくに
   たすけたい
   なれどこゝろが
   わからいで

七ツ なにかよろづの
   たすけあい
   むねのうちより
   しあんせよ

八ツ やまひのすつきり
   ねはぬける
   こゝろはだん/\
   いさみくる

九ツ こゝはこのよの
   ごくらくや
   わしもはや/\
   まゐりたい

十ド このたびむねのうち
   すみきりましたが
   ありがたい

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


五下り目

一ツ ひろいせかいの
   うちなれバ
   たすけるところが
   まゝあらう

二ツ ふしぎなたすけハ
   このところ
   おびやはうその
   ゆるしだす

三ツ みづとかみとは
   おなじこと
   こゝろのよごれを
   あらひきる

四ツ よくのないもの
   なけれども
   かみのまへにハ
   よくはない

五ツ いつまでしんじん
   したとても
   やうきづくめで
   あるほどに

六ツ むごいこゝろを
   うちわすれ
   やさしきこゝろに
   なりてこい

七ツ なんでもなんぎは
   さゝぬぞへ
   たすけいちじよの
   このところ

八ツ やまとばかりや
   ないほどに
   くに/\までへも
   たすけゆく

九ツ こゝはこのよの
   もとのぢば
   めずらしところが
   あらはれた

どうでもしんじんする
   ならバ
   かうをむすぼや
   ないかいな

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


六下り目

一ツ ひとのこゝろと
   いふものハ
   うたがひぶかい
   ものなるぞ

二ツ ふしぎなたすけを
   するからに
   いかなることも
   みさだめる

三ツ みなせかいの
   むねのうち
   かゞみのごとくに
   うつるなり

四ツ ようこそつとめに
   ついてきた
   これがたすけの
   もとだてや

五ツ いつもかぐらや
   てをどりや
   すゑではめづらし
   たすけする

六ツ むしやうやたらに
   ねがひでる
   うけとるすぢも
   せんすぢや

七ツ なんぼしんじん
   したとても
   こゝろえちがひは
   ならんぞへ

八ツ やつぱりしんじん
   せにやならん
   こゝろえちがひは
   でなほしや

九ツ こゝまでしんじん
   してからハ
   ひとつのかうをも
   みにやならぬ

十ド このたびみえました
   あふぎのうかゞひ
   これふしぎ

なむてんりわうのみこと
なむてんりわうのみこと


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