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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 更に、筆をとつて、たすけづとめのしんである人間宿し込みのぢばと、かんろだいの理を明かし、つとめの人衆について教え、なお、証拠まもりや、いき・てをどりのさづけを渡すなど、たすけ一条の道を示された。
 かかる中にも、厳寒酷暑を問わず、十数度に余る獄舎への御苦労が続いたが、聊かもこれを意にかけず、ひたすら、疑い深く理解の鈍い人心を教化しようと、日夜、手を尽し心を砕き、或は温かく或は鋭く、折にふれ、人に応じて導かれた。
 かように行き届いた導きによつて、教は、大和はもとより、五畿内から関東、東海に伸び、山陽、四国に及んだ。かくて、教祖を慕う白熱の信仰は、人々の足をぢばへぢばへと運ばせたが、なおも、教祖は、親神の思召のまにまに、終始、かぐらづとめを急き込まれた。
 しかし、迫害は歳を追うて激しさを加え、つとめすることは、直に、教祖の獄舎への御苦労となつたが、教祖は、何処においでになつても、平常と少しも変られないばかりか、これを、却つて、表に出るとか、働きに行くとか仰せられて、迎えの役人を、やさしく労われた。
 かかる態度によつて仕込みを受けた人々は、このひながたを慕うて、たすけ一条の上には、我が身どうなつてもと、勇み立つたが、高齢の教祖に、これ以上の御苦労をかけるには忍びなかつた。

つづく
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 月日のやしろとなられてから、このようにして二十余年を過されたが、やがて、をびや許しによつて示された珍しいたすけが、道あけとなり、教祖を生神様として慕い寄る者が、近郷一帯にあらわれた。教祖は、これらの人々に、病の元は心からと教え、不思議なたすけを示されたことは数知れぬほどで、不治といわれた難病も、教祖の前には決して不治ではなかつた。盲人もその場で眼を開き、気の狂うた人も、すきやかに正気に復した。
 かくて、輝かしい道の黎明は訪れたが、それは又同時に、新な苦難への門出でもあつた。嫉妬、猜疑、無理解から起る弁難攻撃、或は又、白刃を抜いての乱暴狼藉などが、それであつた。かかる煩わしい生活に明け暮れされたが、教祖は、益々心勇み、陽気なかぐらづとめを教え、てをどりの手をつけられた。まことに、そこには、過去三十年に亙つてなめられた苦難の陰影はなく、又、白刃の下をくぐられた酷しい日々の片影さえも窺えない。ただ、一れつの子に、親神の胸のうちを知らせよう、との親心あるばかりである。

つづく
 或る年の秋祭の日に、村の娘たちが、今日を晴れと着飾つて、嬉々としているのに、娘盛のこかんは、晴着はおろか着更さえもなくて、半分壊れた土塀のかげから、道行く渡御を眺めていたこともある。又、夏になつても吊るに蚊帳なく、冬は冬とて吹きさらしのあばら屋に、あちらの枝を折りくべ、こちらの枯葉をかき寄せては、辛うじて暖をとり、点す油にこと欠く夜は、月の明りを頼りに、糸つむぎなどして過されたこともある。
 十年に亙る長い年月の間、かかる窮迫の中にも、教祖は、常に明るい希望と喜びとをもつて、陽気ぐらしへの道を説かれた。そして、時には、水と漬物ばかりで過されながら、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて、苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と、子達を励まされた。

つづく
 教祖は、口や筆で親神の教を説き明かされると共に、身を以てこれを示された。この道すがらこそ、万人のひながたである。
 教祖は、寛政十年四月十八日、前川半七正信の長女として生れ、名をみきと申される。
 幼少の頃から、慈悲と同情の心に篤く、又、深く道を求め、世塵を脱けて、生涯を信仰に捧げたい、と熱願されたが、奇しきいんねんの理によつて、大和国山辺郡庄屋敷なる、中山氏という元のやしきに迎えられ、善兵衞の妻となられた。
 以来、益々信心の道に心を磨かれると共に、人の妻として、忠実やかに夫に従い、両親に仕え、家人をいたわり、篤く隣人に交り、又、家業に精を出された。かくて、慈悲と同情の天禀は、愈々深められ、高められて、よく怠者を感化し、盗人を教化されたばかりでなく、自分を無きものにしようとした者に対してすら、その罪を責めることなく、我が身の不徳のいたすところとして、自然のうちにこれを徳化せられた。又、預つた乳児が病んだ時には、我が子、我が身の命を捧げ、真心をこめ、命乞をして、瀕死の児を救われた。
 天保九年十月二十六日、齢四十一歳を以て、月日のやしろと召されてからは、貧に落ち切れ、との思召のままに、貧しい者への施しにその家財を傾けて、赤貧のどん底へ落ち切る道を急がれた。
 この行は、家人や親戚知人に、理解され難く、厳しい忠告や激しい反対のうちに、十数年の歳月を重ねられた。かかるうちに、夫は出直し、一家は愈々どん底へと向つたが、この大節のさなかに、一身一家の都合を越えて、同年、末女こかんを大阪に遣し、天理王命の神名を流された。
 このように、常人の及ばぬ信念は、却つて人々の冷笑を呼び、離反を招いて、遂には、訪ねる者もなく、親子三人で食べるに米のない日々を過された。父なき後、一家の戸主となつた秀司は、青物や柴の商によつて、日々の生計をはかつた。しかも、教祖は、かかる中にも、人の難儀を見ては、やつと手にした米を、何の惜気もなく施された。

つづく
 しかし、人間心のはかなさは、折角、てびきを頂いて、心を定めても、時がたてば、一旦定めた心もいつのまにか動いて、形ばかりの信心におち、知らず識らずのうちに、又もや、親心に反する心を遣うたり、行をしたりして、しかも、気附かずにいる場合が多い。

 神の自由して見せても、その時だけは覚えて居る。なれど、一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころつと忘れて了う。(明治三一・五・九)

と示されている所以である。故に、

日が経てば、その場の心が弛んで来るから、何度の理に知らさにゃならん。 (明治二三・七・七)

と仰せられ、ともすれば弛みがちな心をはげまして、なおも心の成人を促される上から、信心するうちにも、幾度となく、身上や事情の上に、しるしを見せ、心を入れ替える節を与えられる。この篤い親心を悟つて、益々心を引きしめて通つてこそ、生涯変らぬ陽気づくめの理を見せて頂ける。
 かくて、教の理が胸に治り、心が次第に成人するにつれて、大難は小難に、小難は無難に導かれる親心が、しみじみと感じられて、今まで喜べなかつたことも、心から喜べるようになり、今まで楽しめなかつたことも、心から楽しめるようになる。
 陽気づくめの境地への力強い足どりが、こうして進められてゆく。

  しやんして心さためてついてこい
  すゑハたのもしみちがあるぞや         五 24

(天理教教典第六章『てびき』より)
 親神は、これらの人々に、隔てない切々の親心を明かし、人間の我が子を慈しむ親心に照して、よく思案をするがよいと、いとも懇に教えられている。
 およそ、人の親にして、我が子を愛しないものはない。子の行末を思えばこそ、時には、やむなく厳しい意見もする。この切ない親心がわかれば、厳しいうちにも慈しみ深い親神の心尽しの程がくみとられて、有難さが身にしみる。
 ここに、かたくなな心は開かれ、親神の温かい光を浴びて、心はよみがえる。そして、ひたすら、篤い親心に添いきる心が定る。かくて、真実に心が定れば、親神は、すぐとその心を受け取り、どんな自由自在の理も見せられる。親神は、それを待ちわびておられる。

  しんぢつに心さだめてねがうなら
  ちうよぢざいにいまのまあにも         七 43
  いまゝでハとんな心でいたるとも
  いちやのまにも心いれかゑ          一七 14
  しんぢつに心すきやかいれかゑば
  それも月日がすぐにうけとる         一七 15

つづく
 親神は、知らず識らずのうちに危い道にさまよいゆく子供たちを、いじらしと思召され、これに、真実の親を教え、陽気ぐらしの思召を伝えて、人間思案の心得違いを改めさせようと、身上や事情の上に、しるしを見せられる。

  なにゝてもやまいいたみハさらになし
  神のせきこみてびきなるそや          二  7
  せかいぢうとこがあしきやいたみしよ
  神のみちをせてびきしらすに          二 22

 即ち、いかなる病気も、不時災難も、事情のもつれも、皆、銘々の反省を促される篤い親心のあらわれであり、真の陽気ぐらしへ導かれる慈愛のてびきに外ならぬ。
 しかるに、親神の深い心を知らぬ人々は、ただ眼前の苦しみや悩みに心を奪われて、ややもすれば、あさはかな人間思案から、人を怨み、天を呪い、世をはかなみ、或は理想を彼岸に求めたりする。

  にんけんもこ共かわいであろをがな
  それをふもをてしやんしてくれ        一四 34
  にち/\にをやのしやんとゆうものわ
  たすけるもよふばかりをもてる        一四 35
  一れつのこどもハかわいばかりなり
  とこにへたてわさらになけれど        一五 69
  しかときけ心ちがゑばせひがない
  そこでだん/\ていりするのや        一五 70

つづく
 人は皆、苦しみを厭い、楽しみを求め、悩みを避け、喜びを望む。親神が、陽気ぐらしをさせたいとの思召で、人間世界を造られたからである。
 しかるに、世には、病苦にさいなまれ、災厄におそわれ、家庭の不和をかこち、逆境にもだえるなど、その身の不幸をなげいている人が多い。
それは、親神を知らず、その深い親心を知らないからである。
 親神は、一れつ人間の親におわす。しかるに、人は、この真実を知らず、従つて、互にひとしく親神を親と仰ぐ兄弟姉妹であることも知らずに、銘々が勝手に生きているように思いあやまり、われさえよくばの我が身思案や、気ままな行をして、他の人々の心を傷つけ曇らし、世の親和を害ない紊しているばかりでなく、それがために、己れ自らの心をも傷つけ曇らせていることを気附かずにいる。

  月日にハたん/\みへるみちすぢに
  こわきあふなきみちがあるので         七  7
  月日よりそのみちはやくしらそふと
  をもてしんバいしているとこそ         七  8

つづく
  きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
  よろづいさいのもとのいんねん         一  6

 人間には、陽気ぐらしをさせたいという親神の思いが込められている。
これが、人間の元のいんねんである。
 しかるに、人間は、心一つは我の理と許されて生活すうちに、善き種子もまけば、悪しき種子もまいて来た。善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。

 世界にもどんないんねんもある。善きいんねんもあれば、悪いいんねんもある。 (明治二八・七・二二)

 およそ、いかなる種子も、まいてすぐ芽生えるものではない。いんねんも、一代の通り来りの理を見せられることもあれば、過去幾代の心の理を見せられることもある。己一代の通り来りによるいんねんならば、静かに思い返せば、思案もつく。前生いんねんは、先ず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねて行くならば、自分のいんねんを悟ることが出来る。これがいんねんの自覚である。
 親神が、種々といんねんを見せられるのは、それによつて人々の心を入れ替えさせ、或は勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであつて、好ましからぬいんねんを見せられる場合でさえ、決して、苦しめよう困らせようとの思召からではない。いかなる中も、善きに導かれる親心にもたれ、心を治めて通るならば、すべては、陽気ぐらしの元のいんねんに復元されて、限りない親神の恵は身に遍く、心は益々明るく勇んで来る。
 人の幸福は、その境遇に在るのではなく、人生の苦楽は、外見によつて定るのではない。すべては、銘々の心の持ち方によつて決まる。心の持ち方を正して、日々喜び勇んで生活すのが、信心の道である。
 即ち、身上かしもの・かりものの理をよく思案し、心一つが我の理であることを自覚して、日々常々、胸のほこりの掃除を怠らず、いかなる場合にも、教祖ひながたを慕い、すべて親神にもたれて、人をたすける心で通るのが、道の子の心がけである。そこには、自他の心を曇らす何物もなく、ただ、親神の思召のままに生活させて頂き、連れ通り頂いている喜びがあるばかりである。

  このよふハ一れつハみな月日なり
  にんけんハみな月日かしもの          六 120

天理教教典第七章『かしもの・かりもの』より)
 このほこりの心遣いを反省するよすがとしては、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八種を挙げ、又、「うそとついしよこれきらい」と戒められている。
 親神は、これらの心遣いをあわれと思召され、身上や事情の上に、しるしを見せて、心のほこりを払う節となし、人々を陽気ぐらしへと導かれる。

  せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
  神がほふけやしかとみでいよ          三 52
  めへ/\にハがみしやんハいらんもの
  神がそれ/\みわけするぞや          五  4
  めへ/\の心みのうちどのよふな
  事でもしかとみなあらわすで         一二 171
  これみたらどんなものでもしんぢつに
  むねのそふちがひとりてけるで        一二 172

 即ち、いかなる身上のさわりも事情のもつれも、親神がほおきとなつて、銘々の胸を掃除される篤い親心のあらわれと悟り、すべて、現れて来る理、成つて来る理をよく思案するならば、自と、心のほこりを払うようになる。かくして、ほこりさえ綺麗に掃除するならば、あとは珍しいたすけに浴して、身上は、病まず弱らず、常に元気に、守護頂ける。

  ほこりさいすきやかはろた事ならば
  あとハめづらしたすけするぞや         三 98

 しかるに、人は、心の成人の未熟さから、多くは定命までに身上を返すようになる。身上を返すことを、出直と仰せられる。それは、古い着物を脱いで、新しい着物と着かえるようなもので、次には、又、我の理と教えられる心一つに、新しい身上を借りて、この世に帰つて来る。

つづく


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