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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\身上一つの処、さあ/\心得ん/\いう処、めん/\身上心得んと言う。一つ諭しよう。何かの処諭しよ。めん/\事情聞いて、理を聞き分けんという処、めん/\心の事情、心事情世界にある。諭して居る処の理を聞き分け。いかなるも速やか、身上速やか。さあ/\、身の処より定まらにゃ、定まりあらせんで。 身の処諭する処、成程の理が見える見えんは、成程の理を見てくれにゃ分からん。』(M20 おさしづ)
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『これからの道危なきの道もあれば頼もしい道もある。危なき道よう堪忍して。この道は難しい事は要らん。堪忍はこの道を始め掛けたると言う。よう尋ねて始め掛けてくれた。堪忍互い結ぶなら、あら/\の道。堪忍というは誠一つの理、天の理と諭し置く。堪忍という理を定めるなら、広く大きい理である。………心に堪忍戴いて通れば晴天同様、一つ道と諭し置こう。』(M26.07.12)
『さあ/\尋ねば一つ、前々の一つのさしづ身の処、又々一つ分からん。前々身の処、めん/\に一つ定め踏ん張りの処、内々一つの処、定め一つを、未だ/\身の処、速やかならん。さあ/\聞き分け/\。めん/\踏ん張り一つでどうでも成ろ。一寸の理であろまい、大層であろ。安心ならん。早く/\安心の理を定め。内々安心ならん。多くの中の一名である。理を見て一つ、どんと心下ろさにゃならん。内々も見分けて治めにゃならん。』(M20 おさしづ)
『さあ/\いかなる尋ねる事情を、どういう事聞き分けと言うならば、とんとなる案じ/\、とんと随分急く処、一つ治まる。誠真実定めば連れて通るという処、前々より知らしある。案じがあってどうもならん。あちらもこちらも、世界中へ柱を付けてある。怪しい道であれども皆連れて通ってある。十分々々の実を尋ぬれば 、真夜々々々々に尋ね出るよう。一寸の事と言えば、一寸のさしづして置こう。一寸一寸の何事も案じの無きようのさしづ。実を聞けば、実を知らそ。五十年以前からの道、何でもない所の何でもない者、一人の処をよう思案して見よ。聞き分けば随分分かる。さあ/\案じは要らん。案じ思えば案じになる。そこを思え。よく 思案せねばならん。』(M20 おさしづ)
『さあ/\いかなる処身上一条尋ねる。尋ねる処、さあよう聞き分けねばならん。何程十分々々まあ十分暮らする。何かに十分暮らする処、これまで何も/\分からん。分からん間そのまゝ。身の内理上神のかりもの、聞いて/\一つ理を聞き分ける処速やかならん。尽す一つ理上ある。まあこうして月々年々暮らす。一々不自由、一寸心のたんのう。身の内一つ不足、十分心持ち、身のかりものこれを聞き分け。十分理まえよう聞き分けて置かねばならん。まあたんのうして十分たんのうの心の誠より無いものである。一時成る成らん、日々不自由、よう聞き分けて思案、分からんであろ。じっと身の内治まった処たんのう。誠の誠十分を受け取る。いかなる心十分思う。尽せども、一時一寸思う処聞き置き、いかなるも世上世界を眺めればいかなる人もある。一時何も不自由無く、たんのうの心分からん。心のたんのう心第一。めん/\天のあたゑ十分にあるものじゃ。今までどういう事も世上聞き置く。神の道、思いを取り直せ。理を聞き分けて、心と神の道と身の内話聞き分け。第一身の処
不自由年々不足と聞き分け。何不自由無き処聞き分け。たんのう誠、一つ取り直せ。心早く急ぐ。』(M20.08.16 おさしづ)
ほんとうに《たんのう》は難しい。なんとかわかったように思っていても、なかなかわからない。
今回いろいろな節を通してなんだか少し理解が深まったように思う。


『すべての成ってくる理をまるごと受け入れて堪忍し心を治めることを《たんのう》という』と思うようになりました。

ひろ
 摂津国安立村に、「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。二人の間には、次々と子供が出来た。もう、これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれることになった。それで、タツは、大和国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。すると、教祖は、「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。」と、仰せになった。タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、尋ねた。すると、教祖は、「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わる
のやで。」と、お教えになった。更に、お腹の子供について、「子供はおろしてはならんで。今年生まれる子は、男や。あんたの家の後取りや。」と、仰せられた。このお言葉が胸にこたえて、タツは、子供をおろすことは思いとどまった。のみならず、夫の藤助にも話をして、それからは、夫婦ともおぢばへ帰り、教祖から度々お仕込み頂いた。子供は、その年六月十八日安産させて頂き、藤次郎と名付けた。
 こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の胸に伝えて廻わった。そして、病人があると、二人のうち一人が、おぢばへ帰ってお願いした。すると、どんな病人でも次々と救かった。
○「神様は直接操作はされないが、心次第で運命は変えられる」ということは、人間の一人一人の運命は神様が決めて操作なされるのではなく、すべてその人自身の心づかいによって決まってくる。いきなり生まれて運命が定められるのではなく、前生における心づかい(言葉や行動も含む)の積み重ねが今生の癖性分となり生まれた時に運命の青写真が決まる。そして、それぞれの旬々に応じて様々な運命が展開されてゆくことになる。
ゆえに神様はいかなる苦しみ悩みが生じて来てもすべて「我が身恨み」であるとおっしゃられている。しっかりと自分自身の因縁を自覚し《たんのう》心を治め、‘心のほこり’をはらうことにより、大難は小難に通らせて下さり、尚かつ、誠の心で人様を喜ばし、“にをいがけ・おたすけ”などの“ひのきしん”に励み徳を積まさせてゆくことによって、だんだんと因縁が納消されて悪い運命も切り変えていただけるようになって来る。

ひろ
14日から、ヤフーの掲示板(「天理教とは、何であろうか?」)で、ある方と練り合いをさせていただいています。今日は、その投稿記事の一部を書かせていただきたいと思います。(携帯で書かせていただいていますので、文字数に制限があるゆえ掲示板の記事は若干違います。)

○「大宇宙及びこの世界そのものが神様の身体そのものである」という意味は、この世に存在するすべてのものは、神様がお造りになられたものであり、また存在するすべてのものは神様そのものであるというふうに僕は悟らせていただいています。太陽系における惑星一つ一つがそれぞれの周期をもって太陽の周りを周っています。その中の地球は12ヶ月かけて太陽を一周(公転)し、地球は12刻(24時間)かけて一周(自転)しています。これらは神様が設計せられて寸分くるいなく毎日続けられています。神様はその地球上において共に楽しみたいと思し召しになって人間をお造りになられたのです。
そして、人間は心にだけ自由を与えていただき、神様に身体をお借りしています。そして、何不自由なく生活させていただくのに必要なものをすべて貸し与えていただいて神様の身体の一部である地球に住まわせていただいて、何生も何生も生まれ更わり魂の成長をさせていただいている存在なのだと思います。
また、人間の魂は本質的には神様と同じで、神様の子供なのであります。

ひろ
 それは、文久四年正月なかば頃、山中忠七三十八才の時であった。忠七の妻そのは、二年越しの痔の病が悪化して危篤の状態となり、既に数日間、流動物さえ喉を通らず、医者が二人まで、「見込みなし。」と、匙を投げてしまった。この時、芝村の清兵衞からにをいがかかった。そこで、忠七は、早速お屋敷へ帰らせて頂いて、教祖にお目通りさせて頂いたところ、お言葉があった。
 「おまえは、神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのである程に。病気は案じる事は要らん。直ぐ救けてやる程に。その代わり、おまえは、神の御用を聞かんならんで。」と。


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