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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\、よう聞き分け。尋ねる理、運ぶ順序の理、何程頼めども、何程尽し願えども、身適わんと言うても、何程身を堪えられんと言うても、拝み祈祷するやなし、柔らこい話で理を聞き分けば速やかなるもの。めん/\に取りて一つの理早く聞き分け。内の理と外の理と聞き分け。内の身と世界の身の内も皆かりもの。それ世界に、人に見せられん、見るに見られんと言うもある。前世のいんねん/\と言うても、分かりゃせん。』(M20.10 おさしづ)
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悩みや苦しみは、前生因縁の通り返しであり果たしであり、また日々の心づかいのほこりが表れてきたものであるが、これこそが“神様の親心(愛)の表現”であり、人間をなんとかして成長させ、成人に導いてやりたいと思召された『神様のご守護(恩恵)』なのである!!

だから、なんで?どうして?あれがいけなかったのか?これがいけなかったのか?誰が悪い?彼が悪い?などと、あれこれと悩む必要はまったくないのである。
結局は、「前生や今生の天の理に沿わないほこりの心づかいが原因である」のだが、『“成って来る理”というのは、“神様の親心(愛)の表現”であり“神様のご守護(恩恵)”なのだ!!』ということである。
ゆえに『天の理』というのは、『神様のご守護(恩恵)の理』なのである!!

それゆえに、日々の上にいかなることが起こってきても、『すべての成ってくる理に不足せず、常に“たんのう”(感謝、喜び、満足)の心をもって陽気に生活させていただくことが、最も大事なことであり、それこそが“運命の転換”、“因縁の切替え、納消の道”なのである!!』

※これは、自分自身に言い聞かせていますので、断定調になっています。

ひろ
『さあ/\、身の処/\尋ねる処/\、身の不足々々なりて尋ねる。すっきり聞き分けば、分からんでなし。世上見て理を聞き分けと言うて分かるまい。世上見て身の内かりものと、世上皆映してある。人間は皆神の子供と、をやは皆救けたいと、人間身は皆かしものと、心を我がものと、心通り、皆世上へ映してある処見て、めんめんもあんな身ならなあ、と思うてすれば、めん/\たんのうとの心勇む。強いて言うて置こう。』(M20.10 おさしづ)
『さあ/\身上尋ねる。しいかり聞き分け。これまでどんな話も聞いて居ても、理を聞き分けねば、何にもならん。一つの台を拵え。人々に諭すには、内に台というもの拵え。睦まじいとの、内々に睦まじいという台を拵えて、それより世界伝え。何処から見ても成程と言う。世界から成程と言うは天の理や。心に誠一つであれば、これが往還道や。めん/\これからや。未だ/\との心を定め。』(M20.10 おさしづ)
『どういう道すがらの道、真実あればこそ一つの実正なる処、成程々々これまでこう聞き分け。銘々ほんに成程安心と思えども、安心出け難ない。かしものに不足沸かしてある。これだけの一つ事情理を聞き分け。かりもの一条をよう聞き分け。理を聞き分けて世界皆兄弟の理分からずでは、見るに見られん。不自由して居る。身の迫り難儀する者も同じ兄弟。かりもの世界の順序身の一条、早くいかなる事情分かる。世界そうもならん。不自由でならん。成る者も成らん者も、難儀する者も、同じ兄弟やで。銘々日々兄弟なれば一寸一つやれ/\可哀そう心を定め。知らん間は何も分からん。理を聞き分け。聞きたる処誠存心定め。ほんに良かったなあ、誠やなと、一寸悩み速やかなら、直ぐに尋ねに出るよう。』(M20.10.23 おさしづ)
著者はキリスト教の教会の神父さんなのですが、これは、お道における“たんのう”に通ずるものがあるようにも思います。
なかなか、“たんのう”の実践というものも、ひじょうに難しいと思いますが、こういうふうに段階をおって、日にちを切って実践してみることは、すごく画期的な方法だと思います。

やり方としては、「やる!!」と決心した日から、どちらかの手首にゴム製のブレスレットをはめます。(希望者には無料でブレスレットを配布しておられるようですが、別にゴムバンドでもなんでもいいようです。)そして、自分が“不平不満を言ってしまったと認識したら”ブレスレットを反対の手首に付け替えて、また最初からやり直す。ということを繰り返します。なかなか、21日間連続して一切不平不満を言わないというのは、ひじょうに難しいことだと思います。
早い人でも、だいたい4ヶ月くらいかかるみたいですが、真剣にやるとだいたいの人は8ヶ月くらいで達成できるみたいです。
やる前は、なんだそんなことくらいと思うようですが、実際にやってみると、びっくりするくらいに難しいのです。
家族やグループでできればお互いに教え合うということができるかもしれませんが、素直になって実践することが大切で、自分自身に固執してしまったり反発してしまうようだったらやらないほうがいいと思います。

僕自身は、理の子をお与えいただいてから、“一切腹を立てない”と心定めをさせていただきましたが、現在で一年四カ月くらい経っています。まだ完璧とは行かないですが、ほとんど腹を立てることがなくなりました。何事も続けることが大切で、実際に「21日間一切、不平不満、愚痴、悪口などを言わない。また、腹を立てないなどを実行きれば」、必ず生活に変化がみられ心が安らかになり運命も変わってくると思います。

ひろ
先日お話させていただきました、『もう、不満は言わない』(ウイル・ボウエン著 高橋由紀子訳 サンマーク出版刊参照)という本の内容を紹介させていただきます。

この本の副題には『21日間ですべてがうまくいく法』というふうに書いてあります。
また、おびふには『二十一日間不平不満を言わなければ、すべてが思いどおりに!』とありますが、なぜ、21日間なのかというと、「鶏の卵は、孵化するのに二十一日かかる。人間が新しい行動を習慣にするにも、やはり二十一日かかるのだそうだ。」というふうに書いてあります。

そして、要点をピックアップさせていただくと、○「人生をつくり出すものは考えであり、考えは言葉によって表現されます。」
○「ほとんどの人は、自分は前向きで元気で、楽天的で自信に満ちていると思っています。そうでないことは、その人の口にする言葉からまわりの人には明らかなのに、本人にはわからないのです。」
○「傷つける者は傷ついている」
○「発する言葉がすべてを引き寄せる」
○「不満を言っても問題は解決しない」
○「相手の気になる欠点は自分の欠点」
○「あなたは人を変えられない」
などということが書かれてます。

そして、また、それぞれ人によって段階かあり、

まずほとんどの人は、
1、「自分が不平不満を口にしているのに気づかない段階」であると思います。

次に、
2、「自分が不平を口にしていることに気づく段階」に成ってくる。

そして、次に
3、「意識すれば不平を口にしないですむ段階」に成ってくる。

そして、それがさらに進んで来ると、
4、「無意識に不平を口にしない段階」に成る。

とうふうに書いておられます。

つづく
『さあ/\/\身上々々身上処、ほうと思う、心得ん。これまでも聞いて居る。自由自在々々々々聞いて居る処、ほうと思う。今の処とんと十分の心通り見えん。どうや知らん/\思う心、すうきり除けねばいかん。これは道すがらや、長らくの道すがらなら、一分の道すがらなと通らにゃならん。今からこうと思うよは行かん。案じる事は要らん。案じば案じが回る。』(M20.10.15 おさしづ)
『さあ/\いかなる身の障り一つ真を改め置け。いかなる処聞き分け。真を定めくれるよう。五十年以来だん/\随き来る。一段一大事これからである。一つ奮発、これをしっかり聞き伝えてくれ。一時分かる分からん。これから胸一つ誠一つ大丈夫の心一つ、道の道なら道のためいかなる段、替わる/\道筋に、誰がどう言う、どういう事を尋ねる。いかなる話五十年以来ちゃんと分かってある。これ一番の処、一つ定め。いかなる事情、何尋ねる。道は五十年道すがら、余の儀外の儀は要らん。身の上一条かしもの第一、話す処々自由自在これからやで。五十年以来めんめん我年跡、身の上一つに取って諭す。何も余の儀外の儀ではない。何時見えるとも、めん/\それ/\話ちゃんと集めて、一つ話、十分話余の儀でない。一つ話遂げ、何聞き何尋ねても、五十年以来めん/\何箇年である。それより先々諭する。一つ心に凭れ。』(M20.07.04 おさしづ)
昨日、神様がまた不思議な本を教えて下さいました。それは、『もう不満は言わない』(ウイル・ボウエン著 高橋由紀子訳 サンマーク出版刊)という本で、そのおびふには「21日間不平不満を言わなければ、すべてが思い通りに!」と書いてありました。
21という数字にも不思議を感じましたが、それで、ふと思い浮かんだことを書かせていただきたいと思います。



『フグを食べずにタイを食べるようにすると因縁が切れ運命が良くなる!!』

「フグを食べない」とは、フ(不)グ(愚)、つまり‘不足’や‘愚痴’を一切口にしないということで、タイを食べるとは、“ありがタイ”というタイをいつも口にする、つまり常に“感謝”の心で生活をさせていただくということです。

また、フグは‘ふくれない’、‘グダグダ文句を言わない’。
また、『たいしょく天のみこと様』は、“切る”神様で、お姿はフグ(河豚)というふうにお聞かせいただいていますが、これは『鯛食天』とおぼえるといいかもしれませんね!
また、「フグを常に食べていると運命を切ってしまい」、『タイを常に食べていると悪因縁を切って下さる』ということになるのではないかと思いました。

ひろ


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