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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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【天理教】とは『天』の親神様がおやさまを通して、『理』(宇宙の真理、道理)を『教』えて下さったので『天理教』というのだと思います。
また、『お道』というのは、人間がなぜ造られたのか?どういうふうに日々を通らせていただけばよいのか?そして、どこに向かってゆくのか?という道順(道理)を教え導いて下さっているので、『人間の歩むべき道』ということから『お道』ともいうのだと思います。
天理教が『“だめ”(最後、究極)の教え』といわれる証しは『つとめ』と『さづけ』の実践においてのみ体感できるものであり、いくら言葉や文字をつくしても表現することは不可能なものなのだと思います。

ゆえに、我々お道のものは議論などをもって、これがこうだから「絶対に間違いないのだ」などと示すということはできないのです。とにかく神様の教えに従って『つとめ』と『さづけ』を実践させていただくことによってのみしか、その偉大な力や有り難さを体感することは出来得ないということになります。

僕は、ほんとうに有り難いことに小さいころから足が不自由だったので、様々な宗教(信仰)や運命学などを勉強、研究、そして実践させていただいてまいりました。
そのおかげで、天理教の主軸である『つとめ』と『さづけ』の力、効能をまざまざと体験させていただいています。
そして、『心』についても天理教のみ教えを聞かせていただいて、小さいころから常に持ち続けていた様々な疑問が氷解しました。
だんだんと精神文明時代(水瓶座時代〔アクエリアンエイジ〕)に移行してゆく過渡期として、天理教以外の方々においても『天の理』としての『心理』を語って下さるように成ってきています。
それゆえに、分かりやすい表現をもって『天の理』を説いて下さっているご本なども紹介させていただいているということなのです。

ひろ
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今日も、もう一つ「私が一番受けたいココロの授業」というメルマガから、僕が感動した「至誠を貫く」というのを紹介させていただきたいと思います。

《至誠を貫く》

ひろ
今日は、また「私が一番受けたいココロの授業」というメルマガから、僕が感動した「感謝の心と心の掃除」というのを紹介させていただきたいと思います。

《感謝の心と心の掃除》

ひろ
今日は、昨日紹介させていただいた「私が一番受けたいココロの授業」というメルマガから「ツキを呼ぶ魔法の言葉」というのを紹介させていただきたいと思います。

《ツキを呼ぶ魔法の言葉》

ひろ
先日の秋季大祭の日に、また新しい不思議な本を購入させていただきました。(*⌒▽⌒*)

それは、「私が一番受けたいココロの授業」(比田井和孝、比田井美恵著 ごま書房刊)という本で、「宇宙の方程式」の小林正観さんや「鏡の法則」の野口嘉則さんのように《心の持ち方や使い方》を優しく教えて下さっている本でした。
この本はメルマガから出来た本のようで、早速そのメルマガのURLをリンク集に追加させていただきました。
興味のある方はぜひ一度読んでみて下さい。o(^o^)o

僕自身としましては、お道は《天の理》即ち《宇宙の真理》を説いて教えて下さっているのだと思っていますが、この21世紀から約二千年間は、西洋占星術では水瓶座時代と言われており、精神文明が発達する時代と言われています。
それゆえにお道以外の方々でも《天の理》=《宇宙の真理》を分かり易く説いて下さるような精神文明時代に成って来ているようにも思わせていただいています。
しかし、現代はまだまだ過渡期なので本屋さんには精神や心を扱う本が氾濫しています。
それゆえに、『天の理』に基づいて良書を紹介させていただきたいと思っています。

ひろ
『さあ/\願う処尋ねる処、前々以て尋ねる処、誰も誰々願う処、真実の処、一日も十日、真実受け取りたる処、理を聞き分けねばいかんで。百姓に譬えて話する。心やで。月が遅れる、日が遅れる、という事無いで。さあ/\容れ物ちゃんと拵え。一人でもだんないで。容れ物をちゃんと拵え。これが理やで/\。一寸暫く。』(M20.12.03 おさしづ)
『さあ/\よう聞きて置かにゃならんで。どういう事情も聞く。何たらした事も聞く。誠というものは、案じは無い。元々五十年前からの道、めん/\何箇年前より/\、元事情諭する。幾重の道がこうなりて、重々の道伝え。又々、順々の道を知らそうと。』(M20.12.02 おさしづ)
『沢山な水にて少しの濁り水を入りたとて、何処濁りたように無し。この水は用いらりよ。少し水ならば、少しの濁り水にても、これは一面に濁ろう。この理をよう思やんしてみよう。心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。その気にも心にも合わん処だけ除りたなら、心にも合や気にも合う。さあこゝをよう思やんして、人の悪き処だけ除りて我が心包み、善き処だけ出して、何事も事治めるよう。』(M20.12.02 おさしづ)
また今日は、ヤフー掲示板の記事を少し変えて転載させていただきたいと思います。m(_ _)m

村上和雄先生は、宗教をもたない一般の人にも理解できるようにと、この度『アホは神の望み』(サンマーク出版刊)というご本を出版されました。今までのご本でももこのご本の中にも、神様のことを『サムシング・グレート』と表現されていて、遺伝子の研究を通して「何か未知のすごい力が存在していることを疑わずにはいられない」というふうなことをおっしゃられています。
我々は、『その未知なるすごい力』を神様と認識させていただいていて、そこに『かしもの・かりものの理』を認識させていただいているということなのです。
そして、息をする、食べる、見る、聞く、話す、手で何かをする、歩く、走るなどのすべてを御守護(恩恵)をいただいていると認識し感謝させていただいていて、又、病気や事故、あるいは様々な悩みや苦しみは、実は『人間が成長していくために神様が与えて下さっている愛のメッセージ』であり、これらのこともやはり『神様の御守護(恩恵)』なのだというふうに認識させていただいているということなのです。m(_ _)m

ひろ
『さあ/\/\尋ねる処/\事情、さあ/\めん/\身上の処一つ/\これも誠々めんめん身上に遇うて成程という心無くていかんで。めん/\身の処、又一つ又一つ、だん/\に掛からん事には分からん。通る道に、ほんに成程と思た時の一つの心忘れぬようと、生涯の心定めねばならん。五十年以前から天理王命と称する処、どんな道ありた処、踏ん張りが第一や。』(M20.12.01 おさしづ)


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