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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる事情/\、一時どうせえと言うわんで。行く/\の道は、世界にあるで。行く/\の道、長い道、土台を一つ拵え。半期一年、そこに、一つの道がある。半期々々々々々々そこで一年という日がある。忙わし/\/\日いがある。不自由々々々々々々という道もあるで。早くという、未だ/\/\いう道もある。仕事々々々々いう、未だ/\いう理いがあるで。これ誠重なりて来る。忘れんようと。』(M20.12.12 おさしづ)
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『さあ/\/\問いに出る/\処、前々いかなる処理を聞かしてある。心を尽す/\処は、理は受け取りてある。内々の処は十分の中にいかなるも聞き分け。世界を救け、分かりが有りて分かりが無い。人間始めた元々理が分からん。めん/\理以ちて話伝える。何で一つよう成らん。よう成らんではない。前々のさんげせと言うても分かるまい。神は世界四方正面として鏡に皆映してある。それ難儀な/\者も同んなし兄弟。俺もあんな身ならなあと、やれ/\たんのう、たんのうは誠より出やせん。そこでいかとも言わん。幾月とも言わん。これならと話を聞き分け、身に障り、それより事情。』(M20.12.11 おさしづ)
『さあ/\尋ねる。一名一人心尋ねる理は、一名一人万人同じ事、一名聞き心にある。何か聞いて居るであろ。人間々々元が分かろまい。世界中皆神の子供。難儀さそう、困らそうという親はあるまい。親あって子がある。この理を聞け。憎い可愛の隔て無い。養育さしてもどのよな者もある。同じ幾名の中、親の子、中に一つ隔てられる、隔てられる。一名一人かりものによって仕られる。多く子供隔て理は無い。世上見て多く中の理を見れば、分からん事はない。同じかりもの、前々生まれ更わり、身に錆びる。又生まれ更わり、同じ心通り身に現われて、見分け聞き分け。人間同じかりもの知らす。知らん。世上鏡映してある。分かる。難儀不自由身上現われてある理を見る。そこで長々あの身なら、たんのう無きにもあろまい。それよりたんのう早く定め。誠心である。身が不自由、たんのう、理はあるまい。人間同じかりものなら、その身ならたんのう。一寸早くいかなる理を取り直せ。』(M20.12.09 おさしづ)
『さあ/\尋ねるから理を聞かす。いずれ国の中理が分かれば自由自在。広く多くは元の理を聞かそう。元々何にも無い。早く聞き分け。人間心更に無いと、人間心更に無いという理を聞き分け。人間心と言うおか、神の心と言うおか、言う理を聞き分け。ちゃんと言うおか誰と言うおか、何でも無い百姓家の出、女一人十三才の年より入り込み、誠々々天然自然の道付くという処も聞いて居るであろう。よう聞き分けて理が分かれば、広く往還の道を通れるものと、憎うて言わぬ。可愛うて聞かす。蒔いたる種は腐らぬようと、早く一つの理を見るよう、国々の理を分かるようと。』(M20.12.06 おさしづ)
『さあ妊娠の処、世界から見るは余程難し道である。その妊娠産式の許し、これに一つの理があり、この理というは話、この理を聞き分けんというと、何も分からん。神心からは隔ては無い。さあ案ずればその案じに理を増す。この理をよう思やんせよ。さあ何かの処も苦がすうきりと遁れてあるで。さあ事情の道、さあ道から道へ、さあいんねんなら一つはどういう道もあり、世界見よう。その隔てられ、隔てられるも、一つは心にあり。さあその真実を受け取りたから、身を二つ。さあ後へ残る処、この理をよう聞き分けにゃ分からんで。さあ心鮮やかなら、すうきり、後へ残らん。もう一つ心後へ残るから、身の内ももう一つ後へ残るのやで。さあ当座やない。我生涯の心定めれば、身の内は速やかなり。』(M20.12.06 おさしづ)
僕は、2003年12月17日に約26年ぶりに天理教に引き寄せていただきました。そして、2004年03~05月(この時に『おさづけの理』を拝戴させていただきました。)と同じ年の10~12月に修養科に行かせていただきました。

その後、2005年の11月23日から毎日ではない掲示板のブログを始めさせていただき、2006年11日11日から心定めをさせていただき、毎日ブログを書かせていただくようになりました。
その中で、道一条にならせていただき集談所のお許しをいただき、ほとんどすぐに理の子を授けていただきました。現在は、別席を五席まで運ばせていただいています。

なかなかいろんなことがありましたが、今日でブログは満二才になりました。(^-^)v

ひろ
『さあ/\/\いかなる処もよう聞き分けねば分かり難ない。本実真生涯の処、さしづして置こ。何程のこうのう尽す。それに身の処不足出ける。知らんと思うものと思う身の内かりものと言うた処、こうさして貰た結構やと思う心を、神が受け取るから、身に不足無し。これ八つのほこりの道もある処、理を聞き分け。今まで知らん間というものはそのまゝ。裕福に暮らす中にも、身の不自由となれば、どうもなろうまい。不自由の/\者もある。たゞ一番の者も、行けん者もある。それ、誠一つであれば、案じ無い。誠天の理である。ほんに日々の処こう暮らさして下さる、あゝ結構な事、と思て暮らすよ。まあ暫くの処、成程々々と心を定め、内々へも成程という処伝えて話。』(M20.12.04 おさしづ)
『 イヤな人がいるから、角が削れて丸くなる。 』


すぐ近くに、なんとなくシャクにさわる人、イヤな人がいませんか、
きっと、その人はあなたのためになる人です。
神様があなたのまわりにそういう人を置いて下さったのは、
あなたがその人を通して磨かれて、もっと素晴らしい人になるためです。
その人の言葉や態度がシャクにさわったり、気にいらなかったりするのは、
お互いの角がぶつかり合うからかもしれません。
その人のおかげで、あなたのとげとげしい角は少しずつ削られます。
ちょっとイタイこともあるでしょう。
でも、そのおかげで、あなたはもっと円熟した人になれます。
(『「ありがとう」で運は開ける』 中井俊巳著 グラフ社刊より)
『誠』とは、嘘偽りのない『一筋心』であり、『真実』とは、見返りを求めずに深く人様を慈しむ『無償の愛』なのだと思います。
これが、月日親神様の心に沿いきった心で『誠』は『月様の心』、『真実』は『日様の心』なのだと思わせていただいています。

また、口と胸とが違っては『誠真実』の人とは言えないのだと思います。口と胸とが揃ってこそ、はじめて『誠真実』の人、『成程の人』と言えるのだと思います。

ひろ
『 いつでも感謝、

うまくいってもいかなくても。

誰にでも感謝、

イヤな人にでも好きな人にでも 』


うまくいったことに感謝。
多くの人のおかげだとわかったから。
うまくいかなかったことに感謝。
反省と新しい目標ができたから。
ちょっと好きなあの人に感謝。
あの人のおかげで、自分をもっと豊かにできるから。
ちょっとイヤなあの人に感謝。
あの人のおかげで、自分をもっと知ることができたから。
(『「ありがとう」で運は開ける』 中井俊巳著 グラフ社刊より)


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