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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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助かったからいい、許しません、助かりゃあ助かるほど自分を許しません。そこが信仰です。信仰は助かったからいい、それで自分を許してしまうのは信仰というのではございません。信仰というものは、断じて自分を命の限り許さない、これが、信仰の根本でございます。しっかと皆さんもお聞きになって、そうして自分が助かったからいい、それじゃございません。家庭がすっかり助かんなくっちやいけません!家庭が助かるのには、人を助ける道がなかったら家庭は助かりません。
ですから、お道というものは、真実に人を助ける心が信仰というのでございます。手を合わして拝むのが信仰じゃございません。人を助ける心になるのが信仰という精神であり、その道を正しく通さしてもらうのが、信仰というのでございます。よくその点はお心におおきになって、なんでもしなくちゃならんというんじゃございません。出来るお方は、それをさしてもらうことが何より肝心でございます。その点をお心におおきになって、そこに精神を離さないで通る心が信仰というのでございます。堅く申し上げておきまして、本日はこれでお治めさせてもらいます。(昭和38年10月12日 愛町分教会秋季大祭の祭典講話より)
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これを人間わざと思うなとおっしゃってるお言葉があります。人間で聞いたんじゃない、人間で説いてんじゃない、神がさしてなさる、神が聞かしていなさる。
これなくして、行くに行かれん、通るに通れん日が来ているから、これを教えてもらうのでしょ?
重大な問題です、と言って、ねぇ、それがために私は道を無理にすすめてんじゃないんです。もうこれなくっては行くに行かれません。道が耳に入ったらだめです。そこまで魂の因縁がせまってるから、神が引き寄せて教えていなさるんです。
ねぇ、だから教師も重大です、それだけのお方を預かって、それでいいがっ…、自分で自分をまったく叩しめて行かなきゃなりません。また、お聞きになるお方も、よーっくそれを悟らせていただいて、聞いたら、ねぇ、ほんとにそれを信じて信じ切れるまでやり切って行く心がいいようでございます。堅く申し上げておきます。これを簡単に聞いて、いいかげんなことをしておいでになりますと、道を聞いてて誠にお気の毒様なことができて行きます。助かる道が助かって行きません。それは、軽くしておいでになるから、そういうことが起きてくるんです。

つづく
もう八十二です。普通だったら、もうこの日になんか出てお話なんてしません。もう何もそんなことしなくたって飯も食えりゃ困りもしません。
いけません!いけません!絶対それはいけません!!もう命の限りやりきらなきゃなりません。
さあそこで、皆さんもよーっく考えてごらんなさいよ。こりゃあ、自分で聞くんじゃないんです。神が刻限が来ると引き寄せて、そうして教えていなさるんです。私は、それでこれを一生懸命やり切ってきました。
東京で立派な教会をいくつも拵え、人に持たして、自分は教会長にならない。ほいでこっちへ来て、これも人に持たせて逃げようと思ったら、今度は会長さんが聞いて下さらない。関根さん、いいかげんにしなさいよ。あなたはそれでいいか知れないが、その度に子供が一緒にこじきみたいなって難儀するのが見ていられないよ。
私は平気です。道のための難儀はその人のどれくらい幸福になるかわかりません。そこです。そこで、道は深く分かってくりぁ分かってくるほど、本心が座ってきます。ねぇ、ですから皆さんも心に離さず、しっかりこれを聞き分けてごらんなさい。重大な問題ですよ。宗教だ天理教だと言っていますが、そんな軽々しいもんじゃございません。ご自分の末代行く道にこれがいいようです。
ねぇ、一代じゃございませんよ、末代これがなくっちゃいけません。魂にこれを聞き込んで魂に入れたら、来世持って出てます。
大丈夫!です。もう、おぎゃあと生まれて、ねぇ、子供の時代から難儀はございません。ですから、お道くらい大事なものはないんです。

つづく
それを、早くに分かって早くに聞からせてもらったということは、このくらい徳なものはございません。それが、はっきり分かってきたんです。なぜ、そう申し上げるか?
これがはっきり分かってくると、さあ行く道をどうして行くもこうして行くもありません。神様がちゃーんと与えてくれて、ちゃんと通る道を付けてくれます。それをしっかり通っておったら、なにもいけないことはございません。
いけないことができたらどうしたんだって言うと、お道が心にございません。信仰は、形はしてます。形はしてますが、腹の中に信仰がございません。必ずいけないことになっちゃいます。これが、ちゃんと通れた試しがないんです。これは、私は数々人様をあつかってきてますから、それで知ってるんです。
それがまた、いいかげんに通っていいかげんに結構に成っていくんなら、私もこんな窮屈なことはしてません。もっといいかげんなことをやるかも知れません。ねぇ、そこで皆さんをそこに落としちゃったら、私は神様に申し訳がない。だから、ついこういうことまで説きたくなっちゃうんです。説いてて、一生懸命説いててそれを聞いてておやんなさって、そこにお落ちなさんのは、自分の自業自得です。これは、私が悪いんじゃない。ところが、そこまで説かないでそこまで精神入れないでそこに落としたら神様に申し訳がない。

つづく
また、いいかげんなもんだったら、私も男です。こんな窮屈なことはやってません。こりゃあ、自分でやってんじゃない、神様がつかっていなさるんです。神がさしてなさるんです。
いや、そんなことがあるもんかと、こう思いますやねぇ。ところが、自分の身体は自分で拵えた人はないんです。私も自分で拵えたんじゃない、両親がそろって拵えてくれたんです。片っ方の人じゃ出来ません。二人そろわなきゃ、二つの理がそろってこなきゃあ、人間は出来てきません。
さぁ、それが人間わざじゃあないんです。そりゃなにかと言うと、このおやさまのはたらきです。そこで、よーっく考えてご覧なさい。自分の身体は自分で拵えたんじゃない。自分で育ったんじゃないんです。
で、親が拵えたって言いますけれども親でも知らないんです。なんだかできちゃった、おなかが大きくなってなんだかできちゃったってなっちゃってるんです。拵えようたってできやしないんです。さあ、それが人間の力じゃないんです。そこでもう一つ考えてごらんなさい。自分の身体は自分で育ったんでしょうか?
自分で拵えて自分で育ったんならですねぇ、なんでそんな拵え方したんだって、言いたくなるじゃありませんか?
しょうがない、どうしたとこでしょうがない。ほら、自分で拵えたんじゃない、神様がお拵えになって、神様がお育てになった。神様が今連れて通っていなさる。これは、天理教信仰してる者ばかりじゃない、社会の人間は、皆そういうふうになっちゃってるんです。

つづく
おやさまが今日まで仕込むのに連れて通って下すったんです。だから神様のお言葉には、“これを人間わざと思うなよ、この世創めた真実のをやが付けてる道やで”。
ですから、みなさんもこうしておいでになっておりまするが、これは誰がどうしたんじゃない。もう自分の魂がどうでも道を聞かなきゃならなくなってくると、おやさまが道をお付けになるんです。それ証拠にですね、道を聞き始めて道を嫌ったお方が満足に通ってる人は一人もないんです。これはまあ私は数限りなく人をあつかって知ってるんです。私のこったから、それっ、みろっ、いわないことじゃないじゃないかと言うようなことが出来てしまうんです。
確っかにこれは人間わざじゃございません。聞いてるお方も、これを丹精してる教師も断じて自分を許しちゃいけません。
“これを人間わざと思うなよ、この世創めた真実のをやが付けてる道やで”。
こういうお言葉が出てんです。だから、皆さんも自分で聞いたんじゃない、これを聞かせられたんです。聞かせられた話はあまり好きません。好きませんけれども、まあ聞かしてくれるから、まぁまぁまぁ。助かんならやってみよう。聞きっ放しちゃいけない、聞きっ放すとえらいことになるそうだからぁ、仕方がないからやろう。…っと、こんなふうな調子でみんなついてきます。
しかしながら、そうしてついて来てですねぇ、これをやめた者はありません。なぜやめた者がないかっていうと、私は東京で大きな教会をいくつも拵えて人にもたして、当地にしましてもここまで来たんです。

つづく
今日は、平和堂集談所の春季大祭を勤めさせていただきました。
立教172年の春季大祭を迎えさせていただき、今年は年頭に新たな目標を二つ心定めさせていただきました。
一つは、先日から書かせていただいております、愛町分教会初代会長関根豊松先生の伝記やお言葉などを世に出させていただくことです。
資料も神様がたくさん与えて下さいました。これは、僕に与えて下さった使命と受けとらせていただきまして、真の天理教をお伝えさせていただきたいと思っています。
資料としては、『因縁に勝つ』、『赫ける神人』などの貴重なご本、そして、『愛町分教会初代会長のお声』という幻のレコードもお与えいただくことが出来ました。

時間の許す限り精一杯、『天理教の至宝』とまで讃えられた関根豊松先生のお言葉などをお伝えさせていただきたいと思っています。

そしてもう一つは、平和堂集談所第一号の『よふぼく』誕生です。

明日、八席目を運ばせていただきますが、順調に満席を運ばせていただき、尊い『おさづけの理』を戴かせていただきたいと思っています。

ひろ
このお道は、自分で聞いて自分で信仰したんじゃない。神様が引き寄せていなさるんです。それ証拠にですね、お道を聞き始めてこれを嫌っている人にいいことが一っつもございません。こりゃもう私はたくさんあつかって知ってるんです。ですから、この道は自分で聞くんじゃないんです。神様が引き寄せていなさるんです。かよう申し上げると、なんだか天理教をすすめるようですが、こりゃすすめてるんじやないんです。確かにそうだから私は皆さんに話をしてるんです。これを嫌った人に、満足に通ってる人はないんです。私はもうどのくらい人をあつかってるか知れません。東京で大教会になるまで、大教会の先代の会長さんと一緒にやったんです。先代の会長さんが二軒長家の片っ方を借りて、煙草問屋の主でした。ご夫婦でお道をやって、息子さんはたいへん嫌っておいでになった。そこへ私が行きまして、まだ小さい時代でした。ようやくものごころを覚えた時代でした。そこへ行ってお手伝いしたんです、九つくらいでした。またひじょうーにかわいがって下すった。まぁ、今考
えるとこれが人間じゃなかった、神様がかわいがって下すったんだ。そういうことがはっきりしてます。

つづく
その時、背後にことが立っていた。「おお…天理の先生…おらぁ…ずっと待ってましただ…もう来てくれるかもう見えるかと…昨夜十二時…小用に起きようとしたら…起きれた…歩けたよ…ほらこの通り…治ってしまっただ…嬉しくて嬉しくてなぁ…みんな先生のお蔭だぁ…」老婆はむせび泣いている。「おおそうだったか…神様…有難うございました…」先生も、わっとその場に泣き伏した…。「先生…おらが沸かしたお茶だ…飲んでくんろ…」ことが嬉しそうに運んでくると、先生はことの顔に目を遣った。「よくぞ…そのように助かってくれたなぁ…」庭先に落ちている短刀を拾い上げ―「おおこれは…」と察した弥八は、たまりかね目頭を拭うて、「先生!」と、差し出す。「弥八つぁん…間違いなく神様はあったねぇ…」先生は彼の手をぐっと握る。そこへこそこそ入って来た弥四郎は、諸手をついて、「先生…どうか勘弁して下せぇ…俺ぁすまねぇ…すまねぇと…何とお詫びしょうかと…先生を迎えに行って…道端で土下座していただぁ…この通りですだ…許して下せぇ…」と言うや泣
き崩れた。弥八―「お父っあん…ほら見ろよ…これ先生の短刀だぁ…」弥四郎―「ああすまねぇ…」感激と涙で紅潮した先生の、「いいんだよ…いいんだよ…それより皆さん…神様のご自由用が分かりましたか…」の言葉に、一同は庭先に平伏して只低頭するのみだった…。臼田ことの息子弥八は後布教して大生分教会初代会長となった…。

おわり
この時来ていた久保清次郎会長に、危惧を抱く町田は事の委細を告げた。「大丈夫だよ…豊ちゃんの事だ…安心してお帰り…」と諭され、町田は家路についた。深夜、只独り先生は神前に平伏した儘―「親神様…糀谷のおことさんを…どうぞ助けて下さいまし…助からぬ際は一命捨てますが…豊松決して命が惜しいのではありません…あの羽田村に尊い親神様の道が開けます様…何卒自由用の理をお見せ下さい…」と、一心にお願いをした。時計が十二時を打った。稍あって、先生は神前の箱より一振りの短刀を取り出し、砥石で研ぎ始めた。後ろから会長が熟と見ていた…翌朝、朝勤めを済ました先生が挨拶すると、会長は、今日だけは外出しない様止めた。「先生…どうでも行かねばならないお助けがあるのです…やらして下さい…」「どうしてもか?」「はい…」両者の目がぴったり合った。深い思いやりの眼差しで―「それじゃ行ってこい…」「逆らってすみません…」見送る会長―「豊ちゃん…神様はあるよ…」懐の短刀に手をやって、先生はぐっと振り返った。弥四郎の家に駆け付ける
と、座敷はひっそりして誰もいなかった。「ご免下さい…」おや?もしや?ああ―駄目だったか―と、先生はよろめいてがっくり腰を落とす。その拍子に懐の短刀が滑り落ちた。「神様…申し訳ございません…豊松の誠が足りなかった事を…どうかお許し下さい…」床の間の水玉に向かい先生はうなだれて神様に詫びた。

つづく


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