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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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これは、理の子が書いてくれたものです!!


断末魔の両足の痛み⇒信仰と、おさづけに よって嘘のように、オペもせずに、親神様、おやさまに、助けていただきました。

4月1日⇒水曜日の午後からの出来事です!

私ども、両足のびっこを、ひいてしか、歩けなかった足が、4~5年の歳月が、たった今、特に昨年の2月1日からの 1年2ヶ月のあいだは、左足が、すさまじく痛く、2日か、3日に一回の割合で、1月に約半分くらいに、水を整形外科へ太い注射器に満タンになるくらいに水を抜きに通っておりました。全国で10本の指にはいる病院へも、行きました。だが、医師の答えは、【まず、水を抜いて、ヒアルロン酸と痛み止めの注射をして、内側半月版損傷にふたんが、かからない様に、膝に金属の、そうぐをつけなさい】という、いとも、現代医学の粋を、集めた様な、悲観的な診断結果でした。
合計⇒3ヶ所で、MRIを撮ってもらっても、みな同じ医師の意見だったのです。ところが、我が理の親は人間を造ってくださったのは、神様であって、創造主に身を委ねて、もたれかかると絶対に治る、治して、くださると おっしゃったとおり、天理教 平和堂集談所へ、アトモスフェアー(雰囲気)が澄んだ、心地良い場所へ毎日、日参した、いや、させていただいたのが、病気完治への真の、誠の、お道でした!!

理の子(代筆 ひろ)
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昨日は、エイプリルフールの日でしたが、実際に起きた嘘のような真実の奇跡の話です!!

なにが起きたかと言いますと、ずっとこのブログに出てくる僕の理の子が、昨日、軽やかに走れるようになりました!!

なかなか、いろいろなことがあり、おさづけの理を拝戴させていただいてからも、まるでジェットコースターのような激しい変化が続いていましたが、昨日、四月一日に鮮やかに走れるようにならせていただきました!!

四、五年も、膝が痛くて、まともに歩くことさえ出来ず、いくつもの有名な病院で何回もMRIを撮ってもらって、これはもう手術しかないと言われていたはずの膝の痛みがすっかりなくなり、軽やかに走れるようにさせていただいたのです!!

だいたい距離的には、500、600メートルの公園のトラックを一周ずつ二回走りました。本人は、いままであまり運動をしていないので、半分くらいで息切れするかもしれないので、休んでもいいですか?と言っていましたが、さほど息も切れずに、あっさりと楽~に一周を二回走り切りました。

本人もびっくりしていましたが、ほんとに一昨年に僕のところへ来た時には考えられないくらい、鮮やかに軽やかに走りました!!

親神様おやさま、ほんとうにほんとうに、ありがとうございました!!m(__)m

ひろ
『さあ/\身上に心得んという事情を尋ねる。よく聞き取れ。どういう事が間違うて身の処不足なると思う処、皆同んなじ神の子供、その内に段々ある。心得んと言えば、だん/\心に事情を沸かす。ほんの些かの事情を心に沸かさんよう。事情は世界という。めん/\心にたんのう一つの理を治めば、身は速やかという。身上案ぜる事は要らん。前生いんねん真実をたんのうという。』(M23.09.04)
『さあ/\身の内/\の事情尋ねる。尋ねるからは一つ諭しよ。よう聞き分け。難し事は言わんで。何をいかん/\こゝどうせこうせ、これは言わんで。だん/\人間程事情のあるものは無い。何を思うも、身上無うては、どうも仕様無いで。この理聞き分けてくれ。何思うも思うまい。思うも天のあたゑ、暮らすも天のあたゑ。日日暮らすに、身上事情案じる。案じる事は一つ、何かの事情案じばかりではどうも仕様無い。案じる事は更にも無いで。さあ何にも案じる事は打ち払い、楽しみばかり/\心なら、皆受け取る。案じる心を打ち払い、心に理を治めるなら、身は直ぐと治まる。(M23.01.21)
『さあ/\運ぶ/\、十分運ぶ中/\身上どういう事であろ。これだけ運ぶ中、これと一つなりと/\一年なりと、身上不足ありて運ばらせん。案じばかり/\話の理を聞いて聞き分けずして、身上ばかり案じてはとんとどんならん。運ぶ中に、身上これだけどういうものと思う心出さんよう。案じは無いで。運ぶ中に、これだけどういうものという心ありてはどんならんで。これだけ諭して置こ。(M23.08.29)
『さあ/\運ぶ/\、十分運ぶ中/\身上どういう事であろ。これだけ運ぶ中、これと一つなりと/\一年なりと、身上不足ありて運ばらせん。案じばかり/\話の理を聞いて聞き分けずして、身上ばかり案じてはとんとどんならん。運ぶ中に、身上これだけどういうものと思う心出さんよう。案じは無いで。運ぶ中に、これだけどういうものという心ありてはどんならんで。これだけ諭して置こ。』(M23.08.29)
『さあ/\尋ねる事情/\、人々の心いかなる事情尋ねる。成るに成らん日々の処、不都合でならん事情思わずして、成るに成らん事情から見れば、長らえての道、一代二代の道、内々にはそれ/\小人だん/\成人。余儀無く事情も、今まで成らん事情も、今までだん/\一代の事情も二代となり、控えるばかりは道やあろうまい。遅くなる事情は遅くなる。いかなる理も悟って置け。』(M24.03.19)
『さあ/\事情尋ね返やす。一つ身の処にて、たんのうならんという事情諭してある。堪いられん一つの理という事情諭したる。この理が分からねばどうむならん。事情分からねば、見て通るだけ、聞いて通るだけ。あゝ綺麗なあと言う、むさくろしいなあと言うて、通るだけ。綺麗なあと言う、むさくろしいなあと言うは、どういうものであろう。分からんから、むさくろしい。この理が分かれば、この理だけ諭すによって。』(M24.05.14)
『さあ/\尋ねる事情/\、身上から理がありて、何でも彼でも分からん。何人ある。一人こうして一人こうという心で思えば成るであろ。なれど、よう聞き分け。一つ理諭し置く。どれだけ頼りどれだけ勝手という、いつ/\までという、いつ/\までといえど、身上に一つ掛かり難がなる。切なみあれば、どれだけ頼りといえど勝手がよいといえどどうむならん。旬々と言えば旬々理がある。それ/\こうという理に治めにゃならん。いつ/\までめん/\心でならん。』(M26.01.08)
『さあ/\尋ねる処/\、身上に不足なる処尋ねる。さあ/\何程々々尽す運ぶと言うても、さあ/\理を聞いて理が分かれば、皆分かる。いつに聞いた/\話々。さあ/\三十日と日を決めて、さあ/\一時なるとは思うなよ/\。さあ/\一つの理を委そ/\/\。人間は皆々神の子供、皆かしもの。不足なるものは貸してないで。さあ/\人間にも皆々親がある。何名幾人あるといえども、皆可愛子供、えらい隔てられるのである。日を切って願えば理が見える。理が無けねば、先の楽しみが無い。さあ/\しっかりと日を切って願うよう。』(M22)


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