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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\よう聞き分け。どうせえこうせえは言わん。前々からの道もある。心次第そこにどうかの道がある。速やかという処すれば、裏から来るのも表から来るのも、よう遠く、いかなる銘々身の内、何遍聞いても聞き分け。銘々の処、身の処から話を聞いて、定めてからたすけに掛かれば、案じは無い。』(M21)

「どうせいこうせいとは言わない。すべての身上事情の原因は、前生から持ち越して来たものもあるが、心の使い方一つが原因なのである。ゆえに、どのような原因から来ている身上事情であっても、しっかり、いんねんを自覚して、かしものかりもの八つのほこりの理を心に治め、誠の心を定めてからおたすけにかかれば、何も案じることはいらない。」

ひろ
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『さあ/\尋ねる事情、尋ねるから聞かそ。一日の心が定まらん。こうやろかという一日の日が定まらん事では、一年の日も定まろまい。こうだろうかという心さえ治めることができないようでは、未だ/\旬が早い。一度連れ帰りて、又々旬を以て尋ね出るなら、一つのさしづという。』(M21)

「さあさあ、尋ねるから説いて聞かせるが、たった一日の日の誠の心を定められぬようでは、なかなか一年を越すことが難しいであろう。まだまだ旬が早いようであるから、しっかりと、かしものかりものの理を心に治めるように努力して、また旬をみて再び尋ね出るようにと。」

ひろ
『さあ/\いかなる処、よう聞き分け、見分けは第一。たあいも無い夢を見る。皆神の道である。成ると成らんと、どんと沈み切って、又ずっと勇み出る。順序の道を通って、ずっと道が付く。案じる事ならん。じっとする道もある。日もある。又ずっと盛んな日がある。誠は天の理や。変わらん事は、天然自然の道である。どういう夢を見るのも皆月日。尋ねは、分からんでない。内々の一つ/\治め/\。』(M21)

「さあさあ、如何なることもしっかり見分けなければならない。他愛もない夢を見るのも神様が見せて下さっているのであるから、何も案じることはいらない。。天然自然の順序の理をしっかり見極めて誠の心を治めることが最も大事なことである。一度どん底まで落ち切ってしまえば、あとはどんどん上昇してくるのが天の理なのである。如何なることを見聞きしても、誠の心でたんのうして心勇むように。誠は天然自然の道である。如何なる夢を見るのも、みな神様が見せて下さっているのである。尋ね出るのもわからないではないが、どんな日もある。成って来ることは、すべて天の理なのであるから、神様を信じ切り、どんと心を治め誠の心を貫き通してほしい。」

ひろ
『さあ/\尋ねる身上一つの処、尋ねる理を諭しよう。たすけ一条/\という内、この処より多くの中理をある。めん/\一名の処、天理王命と称する五十年前よりの道すがら分かり来てあるなら、早う身は発散。世界の処事情は話す。発散々々。どういう処理を聞かそうと、銘々五十年からの道でありた。銘々の処、又こうした理で救かったと。伝え話してあると。十分の伝え話である。』(M21)

「文章的には、わかりやすいおさしづだと思いますが、“天理王命と称する五十年前よりの道すがら”というところが難しいように思います。この“天理王命と称する五十年前よりの道すがら”というのは、“おやさまのひながたの道”であり、貧に落ち切られ、かしものかりものの理、心の八つのほこりを深く悟られて、すべての成って来る理を誠の心をもって、“たんのう”一つの心で喜び勇んで通り切られた“ひながたの道”のことであると思います。また後年、親神様と一心同体と成られて神の社として数々の奇跡をお見せになられ、たすけ一条の“をや”の心をお示しになられたことを申されているのだと思います。おやさまは、神様なのだから最初からなんのご苦労もなく五十年のひながたの道をお通りになられたのではないか?というふうにも考えられるのかもしれませんが。決してそうではなく、人間の身をもって長年お手本として“たんのう”の心を実践せられて、真に親神様と一心同体と成られたのだと僕は思います。我々は、人間なのだから神様であられるおやさまの真似な
んて出来ないというふうに考えがちではないかと思いますが、実際にその“ひながたの道”を実践なされて、神様おやさまと一心同体と成られたのが、愛町初代会長の関根豊松先生ではないかと僕は思います。」

ひろ
『さあ/\尋ねる処/\、第一一つのたんのうの理をある。成程たんのうさして、成程の処、又今にどう、先にどうという処、さしづしよう。今一時と言わん。心一つのたんのうの理を、たんのうさして、又々たんのうさして、たんのう一つ受け取る処ある。たんのうさせば、一日という日もある。』(M21)

「おさしづには“たんのう”という言葉が、頻繁に出て来ます。お道において、いかに“たんのう”が大事なことであるかということをお教えいただいていると思います。」

ひろ
『さあ/\尋ねる処/\、さあ/\身上一段の処、心得ん。さあ/\頼めども願えども、さあ/\よう聞き分けねば分からんで。十分定めにゃ分からんで。さんげばかりではないで。さあ/\尽せども運べども、一つの世界の処を見て案じる処は要らんで。いつの事やろう/\、案ぜ一つの処、心得てくれるよう。身の処で印無くば、案ぜるであろう。何も案ぜは要らん。身の処十分諭してくれるよう。』(M21)

「身上をいただいても、何も案じる必要はない。いくら頼んでも願っても、また、さんげし尽くし運びをしただけではだめである。かしものかりものの理をしっかり聞き分けて、またいんねん事情をしっかり聞き分けて、成程と十分心を定め、しっかりたんのうしてくれるようにと。」

ひろ
『さあ/\身上々々、身上に一つ急く/\手を引く/\身の内を急く。身の内を急くやない。理を急く。手を引く。何にも手を引くやないで。何にもこれまでじいと治めて居ると思て居ると言う。なれども、身上からなれば一つの思やん。何にも長くと治められんでない。身上より何かの処十分の処治めて、身上速やかなれば、ぼつぼつその道へ運べ。身上で皆知らす。何か/\元より一つの理というものは、これという処無しに運ぶやろ。何かの処急ぐ一つの理をある。何かの処よく思やん。』(M21)

「神様は、身上によって手を引くと仰せられているようです。心得違いを身上によってお知らせ下さり、まるで子供の手を引いて、危ない道へ出ないように私達を導いて下さっているようです。」

ひろ
『めん/\身上事情日々通る/\。長い年限の道筋一寸思う処聞き分け。一寸聞き分け/\。一寸一日々々送る処、一寸忘れられんという処、これ分からんであろまい。これだけ奮発する/\。どういうものと思う処、よう聞き分け。年の処思う理である。越すに越されんして、世上に見て分かる。そこで一つの思案して、たんのうしてくれ。世界の処見て、それから理を引き出せば、たんのうして。さあ受け取る、十分に受け取る。』(M21)

「めいめいそれぞれ、身上や事情で日々を過ごしているであろうが、長い年限の道筋をしっかり思案して聞き分けてもらいたい。どうしてこれほど苦しまなければいけないのかと不足が出るであろうが、世上を眺めてみて、しっかりたんのうの心を治めてほしい。なかなかたんのう一つの理は、難しいであろうが、しっかり世上を見て理を引き出し、たんのうの心を治めるように。たんのうの理は、前生いんねんのさんげとして十分受けとるほどに。」

ひろ
『神一条というものは、何にも一寸一つで分かるもの。・・・・・何とも分からん処から、一寸この理を聞き分けて貰いたい。どうこうとは言うわん。不思議というものは、大きな事というもの。一寸に分かり難くい。一寸の事世上へ理を出したる。何かの処も理を出したる。成程の思やん定めて、理を聞き分けて貰いたいのやで。どんな者でも仮名ぁなもので理がある。一寸した理いを大きな理やで。自由自在という事は、言葉で分かる。これが大きなやで。天のだめ。』(M21)

「神一条というものは、難しくはない。なんにもわからんところから、真実の誠の心があれば、すぐとわかるものである。いんねん一つの理をしっかり聞き分ければ、なんにも難しくはない。誠一つの心があれば、すぐにわかる。しっかりいんねんの理を悟り、成程と心を治めることができれば、ちょっとした理が大きな理となる。おふでさきのかなな言葉の理より、すべてがわかる。そのちょっとしたことが、実は大きな理であり成程の理なのである。自由自在というのは、おふでさきの仮名な理より悟り、しっかり実践をさせていただくことによって、見えてくる。これが、天の理で揺るぎのない神様のお言葉で、千に一つの間違いのない、天の神様が働いて下さる物種で大きな理となるのである。それゆえに、これを天のだめの教えと言うのである。」

ひろ
『これまで順序々々成程との処、改めたと/\。どういう事も速やか分かると、もう一段内々へ伝えと。多くの中とそれ/\の理を分かる。ほんに成程の一つに治めて、ほんに成程と、これまで分からんなりに越して来たと/\。一段々々未だ/\と。心に誠無うて未だ未だとは思われん。
一つ内々睦まじいという処、この理を聞き分けば、何にも案じる事も無い。睦まじいというは家内揃うが睦ましい。この理を聞き分けて貰いたい。』(M21)

「これまでに順序一つの理と、だんだんにいんねんの理を聞いて成程と心を治め、また心を改めて来たであろう。しかし、わからんなりにも心を治めて来たであろうが、心に誠の理がないと、なかなか自分は未だ未だと心を治めることはできない。また、ほんに成程と深く心を治めることはできないであろう。内々に睦まじいという一つの理を聞き分ければ、なんにも案じることはない。家内がみな仲良く理を聞き分けて助け合うことが、睦まじいという理なのである。この理をよく聞き分けてもらいたい。」

ひろ


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